クラブでレッツ・ダンスまたはパーフリ・ギャルのハート鷲掴み計画~1991年のクラブ・プレイリスト再現


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実家の部屋の整理をしてたら、クイック・ジャパン38号(2001年8月発行)が出てきた。大塚幸代ちゃんが企画した「解散10周年記念特別企画 ノー・モア・フリッパーズ・ギター」が掲載された号である。

 
僕は「これから“フリッパーズ・ギター”を聴く人のためのディスクガイト」を執筆したのだが、その中で1991年のクラブ・プレイリストを紹介した。読み返すと懐かしくも笑える内容だったので、再録してみたい。
 
 
~~~~~~~~~以下、再録~~~~~~~~~
 
 
 
 今でこそ“クラブ”は、普通に遊びに行く場所の一つになったが、80年代はなんか恐くてヤバイ場所というイメージが強かった。それが90年代になってから、いわゆるマンチェスター・ブームの伝来、そしてフリッパーズ・ギターの登場によって、英国の音楽を回すクラブ・イベントが急速に増えた。
 当時、パーフリ・ギャル&男子が必ず行っていたのが、今は亡き下北沢のZOOでやっていた“LOVE PARADE”。DJは、CLUE-Lレーベル代表でライターの瀧見憲司氏。後にジャズやソウルまで幅を広げた氏の選曲眼は、まさに90年代の渋谷系ポップスの変遷そのものだった。その眼は、時として、回っている盤をチェックしようとDJブースを覗く客を、鬱陶しそうに睨み返すものになったが。
 そんな瀧見氏に負けじと(?)、素人DJによるクラブ・イベントも数多く開かれた。僕も当時、そんな素人DJのひとりで、心のベスト15はこんな曲だった…って、それはスチャダラ&オザケンか。
 
●当時の典型的イベント・サンプルを誌上再現!!
「クラブでレッツ・ダンスまたはパーフリ・ギャルのハート鷲掴み計画」
DJ:トオルa.k.a. スケル“当時21歳”
 
1.Friends Again(Long Version)/The Flipper’s Guitar
まずは、当時Budahレーベルのコンピにしか収録されていなかった前奏の長いバージョンで、ギャル&オタクの心を鷲掴み。
 
2.Delilah Sands/The Brilliant Corners 
“パッパッパラッパ”コーラスに合わせ、トンボの眼を回す仕種を両手でやるのがお決まり。
 
3.Yeah!(Single Version)/International Resque 
アルバム・バージョンは良くないので、7inchで回すのが通。
 
4.Dying For It/The Vaselins 
サビの“Ah~, Haging On”で絶叫する野郎多し。
 
5.Beatnik Boy/Tallulah Gosh 
思わずタテノリ跳ねをしてしまい、「あの娘、元ビーパンよ」と後ろ指さされ、赤面するギャル。
 
6.There She Goes /The La’s 
聖歌隊のようにみんなでサビの“There she goes~”を大合唱。
 
コーラスの“ア ハァン”でスカートをまくる真似をするプチ・セクシー・ダンスが一部ギャルの間で流行。
 
8.Nothing Can’t Stop Us/Saint Etienne
アンニュイ気取りで、カウンターで頬杖ついてたカヒミ・カリィ似のあの娘もこの曲だけは踊ってくれた。
 
9.Come Together/Primal Scream 
ボビー・ギレスピーの真似をして体をクネクネさせる野郎。それを見て「あいつボビ男よ、気持ち悪い!」と、ひくギャル。
 
10.The Only One I Know/The Charlatans 
とりあえず、みんなマスカラふるでしょ。
 
11.Three Cheers For Our Side/Orange Juice 
パーフリの1stのタイトルにもなってるし」と回すが、ギャル受けせず、後悔。
 
12.The Camera Loves Me/The Would-Be-Goods 
ベレー帽ギャル殺しのこの曲で、ネオアコDJの面子を取り戻す。
 
13. Jacob’s Ladder/The Monochrome Set
曲のエンディング間際のドラムだけのパートはみんな手拍子。
 
14.My Favorite Shirts/Haircut 100
さぁ、“Boy meets girl~”で、みんな片手を上げて!
 
15.Pillar To Post/Aztec Camera 
サビになると、みんな両手を広げ満面の笑み。
 
16.午前3時のオプ/The Flipper’s Guitar 
「いま午前3時です」とニクい選曲(と思っているのは自分だけ)で逃げるDJトオルa.k.a. スケルであった。
 

 

 

 

bossa nova 1991 shibuya scene retrospective

bossa nova 1991 shibuya scene retrospective

 

 

 

 

愛こそがいつの時代も歌のスタンダード~世界は野宮真貴を、渋谷系を、愛を求めている。

世界は愛を求めている。What The World Needs Now Is Love~野宮真貴渋谷系を歌う。は、かつて渋谷系を愛聴した者としては、買う義務があると発売前から楽しみにしていた。

購入してから最初から最後まで一曲も飛ばすことなく、繰り返し聴いている。この記事を書いてる今も、度々キーボードを打つ手が止まり、一緒に歌ってしまう。ピチカート・ファイヴバート・バカラックロジャー・ニコルズ、トワ・エ・モア、松任谷由美山下達郎、スクーターズ、EPOフリッパーズ・ギター観月ありさ小沢健二。選曲の素晴らしさに脱帽してしまう。

この選曲ラインアップを見て、「バート・バカラックロジャー・ニコルズは洋楽でしょ」とか、「ユーミンや達郎、松田聖子EPOまで渋谷系?」と思う人もいるかもしれない。

バート・バカラックロジャー・ニコルズは一部のポップスマニアの間では知られていたかもしれないが、彼らのアルバムがCDで再発され、手に入りやすくなったのは、渋谷系といわれたアーティスト達が元ネタにしたり、レコメンドしたからであり、渋谷系のルーツと言える。松任谷由美の初期の荒井由美時代は、細野晴臣が在籍したキャラメル・ママ/ティンパンアレーが制作に関わっており、ピチカート・ファイヴ細野晴臣が作ったレーベル、ノンスタンダードからデビューしている。山下達郎は自ら「かつては元祖夏男、いまは元祖渋谷系」と語っている。これは達郎がパーソナリティを務める長寿ラジオ番組「サンデー・ソングブック」で渋谷系アーティスト達がルーツにしたような良質なポップスを紹介していたからであり、その達郎に大きな影響を与えた大瀧詠一のラジオ番組でピチカート・ファイヴ小西康陽ロジャー・ニコルズを知ったという。松田聖子の「ガラスの林檎」は作詞は松本隆、作曲は細野晴臣はっぴいえんどコンビだ。さらにEPOはレコーディングでアメリカを訪れた時にロジャー・ニコルズに会ったことがあるという。

(「渋谷系御三家オリジナル・ラブが選ばれてない」という意見はあるだろうが、昨年リリースされたライブアルバム『実況録音盤 野宮真貴渋谷系を歌う』で「月の裏で会いましょう」を取り上げているし、「接吻」をカバーするアーティストが多いので、あえて外したのではと思う。ちなみに田島貴男はライブで「オレは渋谷系じゃねえ!」と発言したことがある。その言葉の後には「…だって大阪育ちだから」というオチがあるが)

何よりも僕が蘊蓄を述べる前に、アルバムの解説でその意図が記されている。

野宮真貴と坂口修が“渋谷系スタンダード化計画”でピックアップした音楽はごくごく真っ当な渋谷系である。60年代も90年代もいい音楽という基準は変わらないのだから。(中略)渋谷系は決して流行りモノではなかった。素晴らしい音楽を探し、伝えるための出来事だったのだと。

このアルバムのもう一つの大きなテーマはアルバム・タイトル通り、“愛”だと思う。あらためて言葉にすると恥ずかしいが、選ばれた曲の歌詞は“愛する”という多幸感に満ち溢れている。バート・バカラックの「What The World Needs Now Is Love」の小西康陽が書き下ろした日本語訳詞では、

愛しあう心が 必要かもね 愛し合う気持ちが 何よりも大事なの もう何も要らないでしょ 山も川も草原も 何もかも欲しいものは この世に溢れている

と、高らかに愛しあう心の大切さが歌われている。この「世界は愛を求めている」ということこそ、いつの時代にも不変的なことであり、スタンダードとして歌い継ぐべきテーマにふさわしいものではないだろうか。

いろいろ書いたが、何より願うのは、このアルバムを僕のように90年代を過ごしたオヤジが懐メロとして聴くだけではなく、今の10代、20代の若い子達が「渋谷系って知らないけど、いい曲だね」と聴き継がれ、歌い継がれ、スタンダードとなること。あれからもう四半世紀近くたつのだから、そろそろそうなってもいいと思うのだ。

世界は愛を求めてる。 What The World Needs Now Is Love~野宮真貴、渋谷系を歌う。~(初回限定盤)

世界は愛を求めてる。 What The World Needs Now Is Love~野宮真貴、渋谷系を歌う。~(初回限定盤)

星野みちる 黄昏流星群 11/2 Club Asia ~元・渋谷系男子(?)の初のアイドル・ライブ体験記


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11月2日、渋谷のClub Asiaで初めて星野みちるのライブを見た。アイドルのライブを見るのもこれが初めてである。

これまでいろんな音楽を聴いて来たが、アイドルに夢中になったことは一度もなかった。松田聖子が人気だった小学生の頃はYMOに夢中で、アイドルを聴くのは幼稚だと自分もまだガキのくせに思っていた。それが後に作詞が松本隆で、細野晴臣も作曲していたことを知り、聴き直して改めて良いと思った。

星野みちるを知ったのも、実はつい最近のことで、シングル「夏なんです」の作詞・作曲が小西康陽であることに興味を持ち、聴いてみたら見事にハマった。さらにヤン冨田のDOOPEESの「窓から」をカバーすることに驚き、アルバム『YOU LOVE ME』を発売日に購入し、これまたハマった。製作陣が豪華なのに1曲目の「ディスコティークに連れてって」が星野みちる自身の作曲(作詞ではないのもめずらしい)であることにまたもや驚き、しかも某アイドルグループのディスコソングよりはるかに良かった(彼女はその某アイドルグループの第一期生なのだが)。要するに音からハマったわけで、自分はドルオタではないと言い訳がましくなるのは、嫁が「アイドルばかり聴かないで」と思っているからである(これはNeggiccoか)。

と相変わらず前置きが長くなったが、星野みちるのライブ、何しろ初めてのアイドルのライブなので、ペンライトはやはり必要なのか、振り付けや掛け声を予習しなくても大丈夫か、そもそもどんな格好で行ったらいいのかといろいろ悩んだが、ライブは「音を生で聴きたい」から行くのであってアイドルも同じことだと開き直り、いつものようにアルバムを聴き込むだけにした。

会場のClub Asiaに開場時間の18時に着くとすでに列ができていた。年齢層は高め、男性が圧倒的に多い。入場後、物販でライブ会場限定販売のスクーターズとの共演アナログシングル「東京ディスコナイト」(カップリングは「恋するフォーチューンクッキー」)を買い、ドリンクを飲みながら後方で開演を待つ。悪天候の平日ではあったが、開演後には会場はほぼ満杯になった。

定刻の19時に星野みちるが登場しライブがスタートするが、カラオケと前方の客のペンライトにやはり違和感を感じ、乗りきれない。それでも好きな「夏なんです」になると自然に体が動きだし、ゲストの矢船テツローのピアノをバックに歌ったジャズ・テイストの「MISTY NIGHT, MISTY MORNING」、“日本一ブリティッシュなシンガーソングライター”の松尾清憲(祝30周年!)とのデュエット「My Tiny World」でかなりのめり込む。

衣装換えした第二部からはワックワックリズムバンドのメンバーを中心にした流れ星楽団をバックに従え、のびのびと楽しそうに歌う。やはり生演奏の方が自分にはしっくりくる。特にホーンセクションがあると楽しくなる。星野みちるのヴォーカルもカラオケの時より安定しているように聴こえる。「腰抜け男子にアイラビュー」「ディスコティークに連れてって」は、かなりの高揚感があった。

アンコール後、サプライズで10周年記念の花束贈呈があった(所属レーベルの社長が●元康のお面を被っていて笑えた)。アイドルの低年齢化による活動年齢の限界=卒業が早まるなか、星野みちるはすでにキャリア10年のベテランなのだ。彼女が今後シンガーソングライター色を強めていくのか、松田聖子のように永遠のアイドルでいるのかはわからないが、そのどちらでもない不思議な立ち位置の歌手でいるのが星野みちるの魅力なのではーーと感じたライブだった。


YOU LOVE ME

YOU LOVE ME

私的・夜のプレイリスト~私の人生と共にあった5枚

最近、NHK FMの深夜0時に放送している「夜のプレイリスト~私の人生と共にあった5枚」をよく聴いている(スマホでアプリらじる・らじるをダウンロードして聴き、ツイートすることを学習した)。

毎週ゲストがアルバム5枚を選び、思い出を紹介しながら、毎晩アルバム1枚を最初から最後まで通してかける。シングル・ヒットをスマホの音楽アプリで聴くのが主流の今の時代にはめずらしい放送スタイルだ。2015年度は久保田利伸石井竜也内田春菊奈良美智、六角精児、平間至津田大介コシノジュンコ(敬称略)などかゲスト出演している。この記事を書いている週は牧村憲一さんで、音楽プロデューサーならではの秘話を交えながら、坂本龍一の『音楽図鑑』、加藤和彦の『パパ・ヘミングウェイ』、ピエール・バルーの『CA VA, CA VIENT』などを紹介している。

この番組、思い出のアルバムを5枚選ぶのは大変だろうが、夜のアルバムというのも難しいと思う。最初から最後まで捨て曲なしで、深夜0時に落ちついて聴けて、なおかつ思い出のあるアルバムを5枚選んでみた。

Bgm

●B.G.M. /YMO

小学生の頃、自分のお小遣いで買った初めてのアルバム。「ライディーン」のような明るいテクノ・ポップを期待していたのに、レコード針を落としてみたら聴こえてきたのは暗いこもった音で、ステレオが壊れたのかと思った。買って失敗したと思ったが、何度か聴いているうちにはまった。友達に薦めたが「暗い音楽聴くネクラだ」と言われ、無視された苦い思い出が。


This Is the Sea (Bonus CD)

●This Is The Sea/The Waterboys

深夜に聴くには少し激しい音だが、中学生の頃、一番聴いた思い出のアルバム。マイク・スコットが書く内省的かつ情熱的な詞の世界にはまり、対訳歌詞を熱心に読みながら聴いた(“That was the river, This is the sea.”という歌詞に感銘し、授業中にノートにこの言葉を落書きしていた。まさに厨二病)。当時はキラキラしたシンセサイザーの第二次ブリティッシュ・インヴェイジョンが流行していたため、またもや友達に無視される結果に。


ノース・マリン・ドライヴ

●North Marine Drive/Ben Watt

通っていたレンタルレコード屋でジャケットがいいなと思い借り、とても気に入ったが、輸入盤だったため、どんなアーティストなのかわからなかった。後にフリッパーズ・ギターをきっかけにネオアコの名盤ということを知るが、当時はそんな言葉は知らず、海外のフォーク歌手はダサくなくて洗練されているぐらいしか思わなかった。好きな女の子に薦め気に入ってもらえたのだが、代わりに「日本のフォークもいいよ」と中島みゆきの『生きていてもいいですか』を貸され、感想に困った。


Couples

●カップルズ/ピチカート・ファイヴ

大学生の時に在籍していた音楽サークルの先輩に教えてもらったのだか、このアルバムをきっかけに、60年代のソフトロック、イージーリスニング、映画音楽、ボサノヴァなどいろんな音楽を聴くようになった。今の音楽趣味を決定づけた一枚であり、周りから音楽オタク呼ばわりされるようになった一枚。このアルバムの元ネタである『ロジャー・ニコルズ・アンド・ザ・スモール・サークル・フレンズ』と共に、今でも一番聴く。


SUPER FOLK SONG

●SUPER FOLK SONG/矢野顕子

矢野顕子、ピアノ弾き語りアルバム第一弾にして最高傑作と断言したいほど大好きなアルバム。佐野元春大貫妙子山下達郎ムーンライダーズなど名曲ばかり選曲しているのだが、「矢野が歌えば矢野の歌」と言われる通り、どの曲も見事に自分の持ち歌にしている。ブームとのデュエット曲を一人で歌い直した「それだけでうれしい」は、テクノ好きで歌詞は煩いと思っている嫁の数少ないお気に入りで、夫婦喧嘩した時の仲直りソング。


以上、夜のプレイリスト~私の人生と共にあった思い出のアルバムでした。おつきあいいただき、ありがとうございます。おやすみなさい。

孤独のグルメ体験~東京都世田谷区駒沢公園の煮込み定食

ドラマ・孤独のグルメがSeason5に突入した。中年男がありふれた食事を一人で食べるだけで、ストーリーはほとんどないのに、この人気ぶりはすごい。我が家でも夫婦そろって見ているが、深夜に松重豊演じる井之頭五郎の食べっぷりを見ているとお腹が減るという飯テロに襲撃されるので、録画したものを夕食時に見るようにしている。

ドラマSeason5の開始のタイミングで、原作の漫画の第2巻も発売された。第1巻からなんと18年ぶりである。弱冠、井之頭五郎の表情が親しみやすくなった気がするが、内容は相変わらず。谷口ジローの緻密な作画で淡々と描かれつつ、久住昌之の親父ダジャレが炸裂するミスマッチ感が何ともいえない。僕のお気に入りは「こんな名店があるとは思いもヨルダン大使館」。

この第2巻に行ったことのある店が出てきた。東京都世田谷区駒沢公園の煮込み定食の店だ。描かれているとおり、店の看板以外、何も説明がないので何のお店かわからない。すだれの暖簾をくぐって中に入るとカウンター席のみ。座るとすぐに「どうぞ」と煮込みを出される。次に「ご飯の量は?」と訊かれる。メニューが煮込み以外、御飯、茶漬け、漬け物しかないから、入ると自動的に出てくるのだ。酒類は一切ない。それなのに営業時間は夕方5時から夜12時半まで。謎な店なのだ。

しかし、煮込みしか出してないだけあって旨い。ご飯に合う。ご飯にかければ煮込み丼になる。白米ラバーズの自分にはたまらない。思わず五郎さんのように「俺好みの味だ」と呟きたくなる。僕は五郎さんのようにお酒は飲まないし、一人飯の時はさっと食べて、さっとお会計をすまして出る方なので、「俺好みの店だ」なのである。

テレビの人気で番組に出てきた店を紹介するガイド本『孤独のグルメ巡礼ガイド』も出てるようだが、個人的にはこれは違うんじゃないか感がある。孤独のグルメの良さはたまたま入った店が結構旨かったというのがいいのであって、ガイド本を片手にわざわざ訪れるというのではないと思う。ましてや友達、カップルで行くものでもない。一人で食べ、一人で味わい、自分の胃と対話する。だから食べ物の旨さだけに集中できる。それが一人飯の醍醐味ではないだろうか。

さて、今日の飯は何にするか。

孤独のグルメ2

孤独のグルメ2





『プリンス論』を読んで音楽の作り手・受け手が思い出すべきこと

プリンスのアルバムのジャケットを見て、「イケてる」と思う人はまずいないだろう。2ndアルバム『Prince』では胸毛を露出し、こちらを見つめる。3rdアルバム『Dirty Mind』は黒ビキニ一丁にトレンチコートでほとんど変質者。10thアルバム『Lovesexy』に至っては「安心してください。履いてません」ポーズをとる。

そんな見た目は気持ち悪いプリンスだが、音楽は高い評価を得ている。1984年に発表されたシングル「When Doves Cry」はその年のビルボード・チャートの年間ナンバーワン・シングルとなり、マイケル・ジャクソンより早く黒人では3人目の快挙を成し遂げている。1987年発表のアルバム『Sign O'  The Times 』はアメリカのローリングストーン誌の1980年代ベストアルバム100で4位、イギリスのロンドンの情報誌タイムアウトの「史上最高の100枚」では1位に輝いている。日本では岡村靖幸氏がプリンス・ファンとして知られ、『ジョジョの奇妙な冒険』の作者・荒木飛呂彦氏は第5部の主人公ジョルノのスタンド名を、プリンスの曲「ゴールド・エクスペリエンス」と名付けている。

こうしたプリンスの凄さを紹介するのが西寺郷太さんの『プリンス論』。翻訳書はあるが、日本人では初めてのプリンスについて書かれた書籍である。なぜこれほど著名なアーティストなのに今まで書籍がなかったのか。それはまずプリンスが受けたインタビューは少く、自分の情報をコントロールしていることが一番の原因である。さらに困難なのがプリンスが多作家であること。1978年のデビュー以来、ほぼ1年に1枚のペースでアルバムを作成し、2枚組、3枚組、5枚組のものまである。シングルのカップリング曲も未発表曲で、しかもシングルにしても遜色のないクオリティだ(ちなみに今年サマーソニックで初来日したディアンジェロもプリンスを崇拝しているが、プリンスのトリビュート盤では、シングル「Raspberry Beret」のカップリング曲「She's Always In My Hair」を選んでいる)。制作途中でやめたアルバムもあるため、不正に発売されたブートレグ海賊盤)も数多くある。要するにファンでいるだけでも大変なのである。

西寺郷太さんの『プリンス論』を読んで驚いたのは、デビューから現在までプリンスのアルバムを紹介する章立てなのに、新書に収まる文章量でまとめていることだ。さらに音楽家ならではの分析もきちんと盛り込まれている。例えば、「When Doves Cry」とともに全米1位になった「Let Go Crazy」を例に、それまで黒人の代表的な音楽であったディスコミュージックより意図的にテンポを上げることで新たな白人のロック・ファンを獲得したと分析している。さらに、日本の一般的なリスナーに受けるのはアップテンポの早い音楽かバラードの遅い音楽でミディアムテンポのものは受けないとし、ファレル・ウィリアムスの「Happy」はヒットしたが、全米で大ヒットしたマーク・ロンソン&ブルーノ・マーズの「アップタウン・ファンク」が日本ではあまりヒットしなかったことも指摘している。この「アップタウン・ファンク」は初期のプリンスが得意とし、彼の出身地にちなんで名付けられた「ミネアポリス・ファンク」をベースにしている。デ

そして、何より読んでておもしろいのが随所に盛り込まれている西寺郷太さんのユニークな突っ込み。これがあることで、マニアックな蘊蓄本に終わってないところが素晴らしいと思う。まだ小学生でプリンスのアルバムを欲しがる西寺郷太さんに対し、お母様が「郷太、小学生には小学生の聴く音楽があります」と禁止したエピソードを読んで、自分も当時プリンスのプロモーションビデオを見て母が顔をしかめていたので、夜中に録画したものをこっそり見るようにし、余計悶々としたのを思い出した。

高校時代の同級生のY君が海賊盤も収集するマニアだったため(私服可の遠足の時に紫色のスーツを着てきた筋金入り)、「Paradeツアー」「Lovesexyツアー」「NUDEツアー」の東京公演全日のライブを見ることもできた。プリンスは感極まるとビキニ一丁にハイヒールになるが、幸いなことにステージから遠い席で、スクリーンもまだ画質が悪かったため、純粋に音を楽しめた。好きな曲を一曲選ぶのは難しい。プリンスはアルバムで聴くものだと思っている。強いて挙げれば『Parade』だ。

プリンスは2015年のグラミー賞でアルバム賞のプレゼンテーターとして登場し、こうスピーチした。

「『アルバム』って…覚えている?」
「アルバムは、今も、重要だ」
「本や、黒人の命と同じように。アルバムは、今も重要だ。今夜も、これからも…。年間最優秀アルバムです」
※黒人についての言及は「ファーガソン事件」「エリック・ガーナー事件」(警官による黒人暴行)に対して。年間最優秀アルバムはベックの『モーニング・フェイズ』。

iPodをはじめとしたデジタル携帯プレイヤーの登場以降、音楽のダウンロード販売が普及し、さらにAppleMusic、AWA、LINE MUSICなどの定額ストリーミング・サービスの開始で、音楽はシングル中心の聴き方になっている。西寺郷太さんも指摘しているが、スマートフォンで音楽を聴くことが主流になりつつある現在ではアルバムを最初から最後まで聴く間に、メールやSNSのメッセージがどんどん届く。以前、あるアーティストが「これからのアルバムは20分くらいが最適かもしれない。それぐらい現代人には音楽に集中する時間がない」と発言していたのを読んだ。僕は未だにCDを買い、iPodを使う時代遅れの男で、アルバムも最初から最後まで聴く。それでも全曲いいと思うアルバムが減っている気がする。作り手もシングル・ヒットに気をとられ過ぎなのではないか。

アルバム『Lovesexy』のCDはアルバム全曲が一曲のデータで、飛ばすことができないようになっていた。自分の意図があってこの曲順にしたのだから、最初から最後まで聴いてほしいという意志の強さだ。こうした強気の姿勢こそ、今の作り手がプリンスに見習うべきことではないかと、西寺郷太さんは指摘している。そして、私たちリスナーも「教育してもらう」喜びを素直に享受すべきではないだろうか。「○○って○○だよね」と簡単につぶやき、それがあたかも世間の評価であるかのように広がるSNS時代だからこそ。

何より、プリンス自身、こう歌っている。

“If U set your mind free, baby. Maybe U understand. ”(「Starfish and Coffee」)

でも、良い子の皆さんは、ビキニにハイヒールは真似しないようにしましょう。単なる変態扱いされます。

プリンス論 (新潮新書)

プリンス論 (新潮新書)

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PIZZICATO ONE 9/22 BILLBOARD TOKYO


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【セットリスト】
1.フラワー・ドラム・ソング/甲田益也子
2.私が死んでも/おおたえみり
3.恋のテレビジョン・エイジ/西寺郷太&enaha 
4.12月24日/ミズノマリ
5.東京の街に雪が降る日、二人の恋は終わった。/ミズノマリ
6.日曜日/西寺郷太
7.きみになりたい/吉川智子
8.昨日のつづき/吉川智子
小西康陽、ステージに登場~
9.かなしいうわさ/吉川智子&小西康陽
10.ゴンドラの歌/小西康陽
11.マジック・カーペット・ライド/西寺郷太&enaha 
12.美しい星/甲田益也子
~アンコール~
1.また恋におちてしまった/小西康陽
2.子供たちの子供たちの子供たちへ/小西康陽

【感想】
・今回のライブで歌われたアルバム『わたくしの二十世紀』は、もともとビルボード東京の制作担当者が新しい編曲でいろいろなヴォーカリストが歌うライブをやらないかと提案したのがきっかけだという。それが今回ライブとして実現したのが、興味深い。
・バックバントの編成はピアノ、コントラバス、ドラム、チェロ、ハープ。アルバム同様、控え目の演奏だったので、ヴォーカリストの声が際立ち、小西さんの歌詞の世界を堪能できた。
・どのヴォーカリストも素晴らしかったが、個人的に功労賞は黒一点の西寺郷太さん。流暢なMCでバンマスの小西さん以上に喋り、「西寺郷太のライブにようこそ!」「エディ・マーフィーこと西寺郷太です」などのギャグで会場を爆笑させた。
・本編ラストの「美しい星」で会場バックの黒カーテンが開き、歌詞のように窓にビルの夜景が光る演出は素晴らしかった。セカンドステージだけの演出だったらしいので、得した気分になった。
・小西さんがデュエットを含め4曲も歌い、驚いた(ご本人いわくアンコール2曲は隠し芸)。楽器を弾かず、歌ったのは初めてではないだろうか。とりわけラストのピアノ弾き語りのピチカート・ファイヴの「子供たちの子供たちの子供たちへ」は大好きな曲なので、涙腺崩壊しそうだった。
ビルボード東京は座って落ち着いて観られるし、音も良いのだか、自分には小洒落過ぎで正直苦手である。