私的・90年代洋楽アルバム・ベスト10


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90年代はアルバムより12インチ・シングル、しかもリミックス盤ではなく、4曲入りミニ・アルバム的なものが好きだった。さらに遊びでDJをやっていて、60~70年代のジャズ、ソウル、ブラジルの中古盤を漁っていたので、時代感覚がかなり麻痺している。でも、90年代邦楽アルバム・ベスト20をやったのだから、洋楽をやらないわけにはいかないけど、20枚だとかえって絞りきれないから潔く10枚にしよう…と、ベスト○○を書く時、人はなぜ言い訳がましくなるのだろう。

 

●Screamadelica / Primal Scream 

90年代マンチェ・アンセムのCome Together がシングル・ヴァージョンではなくリミックスだったり、タイトル曲が後にリリースされた12インチ・シングルに収録されたりだが、それもご愛嬌と思えるボビーのぶっ飛び音楽快楽主義者ぶりが全開のアルバム。

 

Loveless / My Bloody Valentine 

耽美なノイズと快活なリズムの融合。1991年の来日ライヴで客出しにプライマルのCome Togetherを選んだぐらい、当時ケヴィンがいかにプライマルに影響を受けていたかがわかるアルバム。

 

●The Comforts  of Madness /Pale Saints 

90年代前半は、雨の後の筍のようにイギリス・インディ・シーンに轟音ノイズ・ギター・バンドが登場したが、その中で一番好きだったバンドの1st。残念ながら2nd以降は好きになれなかった。

 

●The La's / The La's 

ネオアコの名盤とされるが、マージービートの再来だと個人的には思う。2005年のサマソニ大阪公演でアンコールでフーのMy Generation をやったのに、東京公演(場所は千葉だが)ではやらなかったことの怨みを関東人は忘れない。 

 

●The Return of Space Cowboy / Jamiroquai 

ブランニューヘヴィーズもガリアーノコーデュロイもスノーボーイも好きなのはアルバムではなく12インチなので、ジャミロクワイを選んだ。因みに今でもJ.K. 以外のメンバーの名前は知らないし、しょっちゅうメンバー・チェンジするので覚える気もない。

 

●Supernatural / Misty Oldland 

高身長でモデルもこなす美人だったのに、109のギャルには支持されなかった。

 

●Walking Wounded / Everything But The Girl

ドラムンベースはいろいろ聴いたが、結局好きになれたのはこのアルバムだけだった。

 

●Protection / Massive Attack 

リリース当時、このアルバムとフィッシュマンズの『空中キャンプ』ばかり聴いていた。ライヴは初来日、フジ、サマソニと三回も見ているが、いずれも印象が良くないのは、ゲストにトレイシー・ソーンを連れてきてProtectionをやらないから(無理なのはわかっているが)。

 

Vanessa Paradis / Vanessa Paradis

レニー・クラヴィッツの最高傑作は自身のアルバムではなく、このプロデュース作品だと思う。

 

●Be Gentle with My Heart / Roger Nichols And A Circle of Friends 

内容はあまり良くない日本独自企画のアルバムだが、ロジャー・ニコルスの素晴らしさを発見したのは日本人だし、こういうアルバムが最新のアルバムと一緒に売られていたのが90年代の面白さだったと思う。

 

 

以上、結局あれも選びたい、これも選びたい、と悩んだが、やっぱり90年代楽しかったよね、ということで。

 

80's洋楽ポップスの栄華の終焉後、リズム帝国を築いた女帝~ジャネット・ジャクソンと80's ディーバたち

 

 

1983年4月。僕は中学生になり、洋楽を聴こうと思った。小学生の時にY.M.O. にはまった僕は、マッチだ、トシちゃんだ、聖子だ、明菜だ、とアイドルに夢中になる友達を、ガキだなと見下す音楽オタクだった。周りの奴らと差をつけるなら、次は洋楽だと思ったのだ。中二病ならぬ、中一病である。

 

ちょうどタイミング良く、カルチャー・クラブデュラン・デュランワム!などのブリティッシュ・インヴェィジョンが起きた。 洋楽雑誌『ミュージック・ライフ』を毎月買って巻末のビルボードとブリティッシュ・チャートをチェックし、母親に早く寝なさいと叱られながらもベスト・ヒットUSAを毎週見て(まだ家にビデオはなかった。しかも我が家が初めて買ったビデオデッキはベータ)、レンタル・レコード屋に通い、カセットテープにダビングし、さらにダブル・カセット・デッキでダビングしてマイ洋楽ベスト・テープを作り、友達に配って布教していた。

 

ところが1986年4月、高校生になると、僕が好きだったイギリスの洋楽グループは次々と人気が落ちた。ワム!が解散し、カルチャー・クラブボーイ・ジョージがヘロイン所持で逮捕され、デュラン・デュランからアンディ・テイラーロジャー・テイラーが脱退した。周りの友達もキャッチーな洋楽ポップスに飽き始め、新しい音楽をみんな聴きたいと思っていた。

 

80's洋楽ポップスの終焉。群雄割拠の混乱した時代を征し、リズム・ネイションの女帝として君臨したアーティストこそ、ジャネット・ジャクソンであると唱えるのが、西寺郷太さん著『ジャネット・ジャクソンと80'sディーバたち』だ。

 

正直に言うと、僕はジャネット・ジャクソンはあまり聴かなかった。僕が崇拝していたのはプリンスだった(西寺郷太さんもプリンス崇拝者だが)。ところが、このジャネ本を読むにあたってジャネット・ジャクソンのベストを聴いたのだが、ほぼ全曲口ずさめた。

 

プロデューサー・チームであるジャム&ルイス(プリンス・ファミリーのタイムの元メンバー)が生み出した耳に響く打ち込みのリズムとジャネットの抑制したクールな歌。その後、登場したブリトニー・スピアーズビヨンセ、リアーナなどの女性アーティストのリズムは確かにジャネットのリズム革命をベースにしている。郷太さんも指摘しているとおり、安室奈美恵宇多田ヒカルもジャネットの影響下にある。ジャネットはまさにリズム・ネイションの女帝なのだ。

 

(余談だが、日本の一般的な知名度という点では、ものまね王座決定戦で松居尚美がリズム・ネイションをやったぐらい、ジャネット人気は日本のお茶の間に浸透してた)

 

今回のジャネ本で、僕が面白いと感じたのが二つ。まずタイトル通り、ジャネットだけでなく、同時代のライバルとしてマドンナとホイットニー・ヒューストンについてもかなりページを割いていること。ジャクソン一家というエリート・ファミリーに生まれたが故のジャネットの苦悩、下積み時代のヌード写真を暴露されたことも芸の肥やしにしてしまうマドンナの上昇思考、類いまれなる歌唱力と容姿に恵まれながらも恋愛には見放されたホイットニーの対比は、大河ドラマなみの波乱万丈だ。さらにはホイットニーの夫であり、ジャネット、マドンナとまで関係をもった色男、ボビー・ブラウンまで登場し、昼ドラなみのお色気もある。

 

もう一つは、1985年と1986年のターニング・ポイントは、南アフリカアパルトヘイト反対として発表されたシングル「サン・シティ」であると指摘していることだ。なぜこの曲が郷太さんが主張する「ファンタジーからリアルへのターニング・ポイント」であり、後のジャネットの活躍にどう関係しているのかは、ぜひジャネ本を読んでほしい。当時このシングルを買った僕はそこまで深く考えていなかったが、アフリカ難民救済チャリティー・ソング「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」では純朴だったU2のボノが、「サン・シティ」では髭を生やし睨むような目付きで「サン・シティでは演奏なんてしない!」とシャウトしていたのが印象に残っている。

 

 https://youtu.be/-7ThzV7yeSU

 

西寺郷太さんはこのジャネ本が、洋楽本の最後だと宣言している。マイケル、ワム!、プリンス、ウィー・アー・ザ・ワールドの呪いと、リアルタイムならではの豊富な知識とミュージシャンならではの視点で80's洋楽の素晴らしさを啓蒙してきた郷太さんの洋楽本がもう読めないのは残念で堪らない。YouTubeApple Musicで過去の音楽に自由にアクセスできる今のような時代こそ、郷太さんのような水先案内人が必要なのだ。

 

私的・90年代邦楽ベスト・アルバム20


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90年代。僕は20代で、編集者として働きながら趣味でDJをやっていて、渋谷にはCDショップやレコード屋がいっぱいあって、バカみたいにたくさんCDを買っていた。そんな時代から邦楽だけとはいえ、ベスト20を選ぶのはなかなか難しいが、Twitterで相互フォローしている方にリクエストされたので…と、ベスト○○を書く時、人はなぜ言い訳がましくなるのだろう。

 

●カメラ・トーク/フリッパーズ・ギター

時代、ジャンルを超えた普遍的なポップス・アルバムだと今でも思う。

 

Overdoseピチカート・ファイヴ

ピチカートで一番好きな「陽の当たる大通り」が収録されているので。

 

●結晶/オリジナル・ラヴ

90年代のアシッド・ジャズ・ブームとリンクした名作。

 

●球体の奏でる音楽/小沢健二

「犬」も「人生」もいいけど、一番今の気分に合うアルバム。

 

●ALIVE/LOVE TAMBOURINES

フリー・ソウルを体現した唯一無二のバンド。

 

●ユニバーサル・インベーダー/THE NEWEST MODEL 

マンチェスター・サウンドの粗暴な部分を一番うまく取り入れたのは、彼らだと思う。

 

●Jr. /TOKYO No. 1 SOUL SET

ポエトリー・リーディング+生楽器・ヴォーカル+ターンテーブルのスタイルは、今でも誰も真似できてない。

 

●5th wheel 2 the coach/スチャダラパー

キック&スネアの音がこれだけ気持ちいいヒップホップのアルバムには、今でも出会えていない。

 

●Future Listening !/テイ・トウワ

90年代クラブ・ミュージックのいいどこ取りのセンスの塊みたいなアルバム。

 

●Child's View/竹村延和

ブラジルのミナス地方の宗教的な美音とクラブ・ミュージックを融合させた傑作。こういうアルバムは一枚しか出してくれなかったのが残念。

 

●HIROSHI FUJIWARA in DUB CONFERENCE/藤原ヒロシ

「NATURAL BORN DUB」は、自分の葬式にかけてほしいと今でも思っている。

 

●Doopee Time/DOOPEES

ヤン冨田さんの遊び心溢れるキュートな電子音楽。昨年発表されたヤン冨田さんプロデュースの星野みちるの「窓から」のカバーも良かった。

 

●東京/サニーデイ・サービス

90年代1Kフォークの名盤。

 

●空中キャンプ/フィッシュマンズ

リリース当時、このアルバムとMASSIVE ATTACKの「Protection」ばっかり聴いていた。

 

●AMETORA/UA

多彩なアレンジと豊潤なヴォーカルで今でも聴いてて飽きない。

 

●JUNIOR SWEET/Chara

私生活の幸福感がうまく音楽に昇華した名作。

 

●EXTREME BEAUTY/吉田美奈子

70年代の作品の再評価ばかりが目立つが、90年代の吉田美奈子の多重録音はもっと評価すべきだと思う。

 

●SUPER FOLK SONG/矢野顕子

「矢野が歌えば矢野の歌」の名カバー・アルバム。

 

●bambinater/KOIZUMIX PRODUCTION 

小泉今日子の豪華プロデュース陣による企画アルバム。いい意味でのあざとさがキョンキョンの良さ。同じ手法の89年発表の「KOIZUMI IN THE HOUSE」も好き。

 

●En  Prive~東京の休日/クレモンティーヌ

クレモンティーヌはフランス人だが、「クロード・チアリのように日本で活動するフランス人歌手」(©高木壮太)なので。「渋谷系ってどういう音?」と訊かれたら、このアルバムを薦めればいいほど、豪華なプロデュース陣。

 

以上、私的・90年代邦楽ベスト・アルバム20でした。最後に、この20枚以外にも愛聴しているアルバムに驚きと感謝を込めて。

四半世紀経ったら誰も覚えていないから~ツイッターで風船が飛んだ日の覚え書き

 

これは全くその通り。僕のブログやツイッターは昔語りばかりが多いが、ネットで調べてみるとリアルタイムで体験した者としては違和感を覚えることも多いから。リオ・オリンピックで吉田沙保里選手に勝ったヘレン・マルリース選手のエピソードがデマだというのはデマだと炎上したが、ネット上でできる限り調べた方のブログを読んでも、結局のところ本当のことなのかはよくわからない。

 http://ibenzo.hatenablog.com/entry/2016/08/20/013205

 

先日、ツイッター

 

 

 

とツイートしたら、「GLAYの間違いじゃねw」とメンションを送ってきた人がいた。ちなみに「僕はGLAYをちゃんと聴いたことはないし、過去のエピソードも知らないので知りません」と返信しておいた。

 

もちろん僕の昔語りは一個人の体験であって、他の人は違う感想をもったかもしれない。半世紀近く生きれば、思い出もあやふやになることもある。それでも昔語りを続けるのは、「その素晴らしさを伝えていくのが、愛する者の務めではないだろうか」と思っているからだ。

 

以上、ツイッターで風船が飛んだ日の覚え書き。Happy Birthday to Me. 


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Don't Believe Pizzicato Hype, But I Love Pizzicato Hype.


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ピチカート・ファイヴの「カップルズ」と「ベリッシマ」が約30年の時を経て再発された。というわけで、いつもの思い出話。「女性上位時代」が発売された1991年に、大学の音楽サークルの機関誌に書いた文章。

 

~↓以下、再録↓~

 

男の子ー女の子がなくした欠片の一部。または、いくぶん情けないもの。女の子ー男の子がなくした欠片の一部。または、いくぶん強いもの(ある字引から引用)。

 

そう、男の子はいつも少し情けないし、女の子はいつも少し強い。ピチカート・ファイヴを聴くたびにそう思う。それは別に「すごく素敵な女の人にすごく非道いことをされたい」という小西康陽氏の発言のような願望ではない。ただ単純に、そう思っているだけだ。僕は別に冷たいお仕置きなんてされたくないし、今まで一度だって好きになったり、付き合った女の子に「君は僕の女王陛下だ」なんて言ったこともない。

 

ー言ったこともない? そうだ、考えてみれば僕は今までいわゆる愛の告白なんていうものを言葉にしたことがなかった。でもそれは「愛してる」って言えないじゃなくて、ただ単純に「言葉にできない」だけ。言葉にした瞬間、それは希薄で曖昧な水溶液になるだけなんだ。だから、言葉にしない。言葉にできない。

 

そう、男の子はいつだっていくぶん情けない。たまに、情けなさ過ぎるぐらいになってしまう。いくぶん情けない男の子を見て、いくぶん強い女の子はどう思うだろう。やっぱり冷たいお仕置きをしてやろうと思うんだろうか。笑うんだろうか。「女王陛下とお呼び!」なんてすごむんだろうか。それとも自分がなくした欠片の一部を取り戻そうとするのだろうか。

 

ー欠片を取り戻す?  男の子も女の子も自分のなくした欠片の一部を探そうとしているんだろか。お互いに欠片を見つけ出した時、情けなさと強さは中和されて、「恋」が生まれるんだろうか? でも男の子はいつだって「言葉にできない」なんて情けないし、女の子はいつだって「冷たいのが好き」なんて強いし…。ほら見ろ、やっぱり「言葉にできない」じゃないか!

 

Don' t Believe Pizzicato Hype,  But I Love Pizzicato Hype.

 

~↑以上、再録↑~

 

ピチカート・ファイヴの「恋するテレビジョン・エイジ」に、「愛してると言って 今すぐ嘘でいいから」という歌詞がある。再録した文章はこの一節にインスパイアされたものである。

THAT’S MISSERABLE ENTERTAINMENT!~1991年のモリッシー来日公演再録


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Twitterモリッシーが来日することを知った。今から約四半世紀前、モリッシーは初来日を果たした。あの頃はその後何度も来日するとは思わなかった。というわけで、いつもの思い出話。大学生の頃所属していた音楽サークルのファンジンに書いた、1991年9月1日の武道館公演の再録。

 

~↓以下、再録↓~

 

モリッシーが遂に日本にやってくる。ライブ会場をスミスTシャツを着て花束を持ったファン達で溢れさせ、ステージに登ってモリッシーにキスをするというウォールバーハンプトン儀式を繰り返しているワールド・ツアーの一環としてだ。

 

だけど、日本ではそうはいかないはずだよ、モリッシー。きっと会場は厳重な警備がしかれて、誰もあなたに抱きつくことなんてできない。それに僕らはあなたの命である詞の意味をほとんど理解しちゃいない。僕らは何言われたって「イェー!」しか言わないんだから。おまけに僕らはあなたを単なる「モリッシー」だと思っていない。「スミスのモリッシー」としてあなたをとらえているんだ。こんな状況であなたはライブをやるんだ。こんなに最高な「孤独」をあなたに与えることができて、僕はすごく嬉しいよ。だって、あなたは「孤独」が大好きなんでしょ。

 

ライブを待つ僕の心は、いささかこんなくだらないアイロニーに満ちていた。だか、モリッシーという異形の人はそれだけ僕の中で大きな存在感を持ち、僕の価値観を大きくつき動かした人なのである。阿保らしいと思われるかもしれないけど、それだけひどい気後れと焦燥感と不安を僕は持っていたのだ。聴くたびにスピーカーの向こうで巨大化する、モリッシーという「カタマり」に押し潰されそうだったのだ。

 

結果的にライブは素晴らしかった。バックを務めるロカビリー兄ちゃん達の演奏が下手っぴでも、警備がやたらに厳重でも、僕はすごく満足だった。モリッシーはあのナルシスティックなクネクネ躍りを思う存分僕に見せつけ、二回も脱いでくれた。とりとめもなく生のエネルギーを放出するかのように、立て続けに歌う彼の姿は巫女のようにも生け贄のようにも見えた。そこには「伝説」も「貫禄」も何もなかった。

 

ただ彼がそこにいて僕がここにいる。一つの同じ空間の中にいる。周りの奴等なんて僕の目には入らない。ただ彼の姿だけが見えるその喜び。その喜びを、僕はただ素直に受け入れさえすればいい。それだけで、充分なんだ。共有するものなど何もない、断絶された空間。叫びは、花束は、想いは、すべてモリッシーにのみ収束される。だが、そこには一人ひとりのためのひどく心地よい開放感に満ちていた。単純に見られてすごく嬉しかった。今はそれだけで良かったんだと思っている。

 

「人が何と言おうと、とにかく僕は勝った。戦いはすでに終わってしまったんだよ」。ー確かにそうなのかもしれないね、モリッシー

 

~追記~

タイトルはモリッシーがジャムの“That ’s Entertainment”をカバーしていたので。この時のライブでは、スミスの曲はやっていない。

厳重な警備をかいくぐって、モリッシーに抱きついた男性がいたことが話題になったが、僕はモリッシーに抱きつきたいたとは思わなかった。

 

 

小沢健二のライブがGターr ベaaス Dラms キーeyズであった所以


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6月12日、Zepp  Diver City で小沢健二のライブを見 ることができた。小沢健二がソロ・デビューして四半世紀近く経つが、1993年、日比谷野外音楽堂でのデビューフリーライブは並んだが会場に入れず、小雨が降るなか、漏れる音を外で聴いて以来、なんとなく見ることが出来ない人と思い、その後もライブに行かなかった。しかし、今回のライブ前は半ば義務感で行くと言ってた友人が、鑑賞後、絶賛していたので、見れるうちに見ておきたいと思うようになった。幸い前々日にTwitterの相互フォローの方にチケットを譲って頂くことになり、初のライブとなった。

デビュー後、小沢健二は2ndアルバム『LIFE』がヒット、テレビの歌番組に出演し、芸人に物真似されるお茶の間の人気者になったが、その後、3rdアルバム『球体が奏でる音楽』ではダン・ヒックスのようなスウィング・ジャズ、4thアルバム『Eclectic』ではディアンジェロのようなネオソウルに挑戦し 、さらに5thアルバム『毎日の環境学』では最大の特徴であった歌詞を棄て、フュージョン・タッチのインストゥルメンタルに挑んだ。アルバムを出せば出すほど、評論家やリスナーは小沢健二の音楽をどう評価すればいいのかわからず、歌詞にばかり注目するので、嫌がらせのように歌詞を放棄したのではないか、と勘ぐった覚えがある。

相変わらず前置きが長くなったが、今回のライブで小沢健二が新曲を披露することが事前にわかったので、今度はどんな音楽に挑戦するのかが、僕の最大の関心だった。

バンドの編成は、小沢健二のヴォーカル&ギターのほか、ギター、ベース、ドラム、(パーカッション、アナログ楽器(テルミンなど)。バックバンドというより、小沢健二バンドと言ってもいいほど、演奏に一体感があった。(Sensuous TourのCornelius Groupを思い出した)

演奏される音はファンク、しかもラブリーの元ネタのベティ・ライトのような今でもクラブで通用する70sではなく、日曜の昼間にMXで放映されているDisco Trainで選曲されそうな80sのディスコのり。それも黒人のねちっこさを白人が洗練したもの、ナイル・ロジャースがプロデュースしたホール&オーツデヴィッド・ボウイデュラン・デュランのような音に近く、ギターのカッティングが躍動感あるリズムを生み出す。新曲だけでなく、既存曲の「大人になれば」も16ビートのジャズから、横ノリのディスコ・ファンクに大胆にアレンジされていた。

あくまで推測なのだが、小沢健二が自身の復活のライブ・ツアーで新曲を披露するにあたって、3rd~5thアルバムの時のようにひねり出そうとしたのではなく、自然に生まれた曲ではないだろうか。小沢健二は1968年生まれ、中学生になって洋楽に興味を持ち始めた頃に、上記のナイル・ロジャース・プロデュース作品が人気だったはずだ。この辺りの洋楽を小沢健二が当時好きだったのかどうかは定かではないが、あれだけ流行っていたのだから身体が覚えているリズムなのではないだろうか。

もちろん新曲だけではなく、「ラブリー」「ドアをノックするのは誰だ?」「強い気持ち・強い愛」「さよならなんて云えないよ」などのヒット曲も演奏し、これらの曲はほぼ発表時のままのアレンジだった。新曲より、既存曲の方が観客の反応が大きかったことは当然であり、本人も最初からわかっていただろう。それでも、新曲を演奏する前に必ずプロジェクターにタイトルと歌詞を写し出し、これから新曲を演奏するよとわざわざ知らせる演出から、新曲の演奏の方が力が入っていたと感じた。

新曲7曲+既存曲10曲を小沢健二はほぼノンMCで演奏し続けた。時々おどけた振り付けをすることはあったが、かつての王子キャラは全く感じられなかった。キャラ重視のパフォーマンスグループや最新のテクノロジーを取り入れたユニット的グループが席巻する中、バンドが生み出すグルーヴを重視した演奏スタイルはどちらかと言えば時代遅れかもしれない。しかも日本人が好きな縦ノリではなく、横ノリである。それでも過去の栄光を背負いながらも自分が好きなバンド・サウンドを鳴らしたいんだ、という前向きの姿勢は、小沢健二に対する誉め言葉には似合わないかもしれないが、真面目なひた向きさを感じ、音楽を聴き続ける同世代としてかなり心を打たれた。

ここまで読んで頂いた方は、新曲の歌詞について全くふれてないことに気づいたと思う。新曲の歌詞について書かないのはライブ評としては片手落ちかもしれないが、小沢健二に対する評は歌詞に偏重する傾向があり、音楽についてはあまり語られていなかったので、こういう書き方をした。何より今回のライブは僕にとってそれだけ音楽的に印象深く、だから、今回のライブのタイトルが、「魔法的  Gターr ベasス Dラms キーeyズ」だったのではないか、ということでご容赦頂きたい。

ライブの曲目はこちらをご参照ください。