Wham!のラスト・クリスマスのゴーストライターは日本人と言われても信じ難いが、ケアレス・ウィスパーならあり得るかもしれないと思う

Wham!ラスト・クリスマスゴーストライターとして作曲したという日本人がいるんです」ー呑み屋の与太話としか思えない噂を、当時のWham!担当者などの証言などを交えながら、膨大な資料と豊富な取材をもとにミステリー風に展開するノンフィクション小説、西寺郷太氏の『噂のメロディー・メーカー』が面白かった。

 
この本の冒頭で西寺氏は「ラスト・クリスマス」に関してはゴーストライターはあり得ないと即座に否定するが、2曲だけ疑惑の曲があると言う。「バッド・ボーイズ」と「フリーダム」。この2曲は日本のカセットテープmaxell UDⅡのCMソングに使用された。西寺氏がなぜこの2曲を疑惑の曲だと思ったのか、それに対し当時のWham!担当者がどう答えたのかは、ぜひ本を読んでほしいのだが、僕は「あの曲の方が日本人のゴーストライターがいたと言われても不思議じゃない」と思った曲がある。「ケアレス・ウィスパー」である。
 
「ケアレス・ウィスパー」は1984年発表でイギリス・アメリカ両国のシングル・チャートで1位を獲得しており、特にアメリカのビルボード誌では1985年の年間チャート1位に輝いたWham!最大のヒット曲だ。ただこの曲は、イギリスやヨーロッパ諸国では、ジョージ・マイケルのソロ・シングルとして発表されており、アメリカでもWham! featuring George Michaelとなっている。日本ではWham!名義で発売され、Wham!の代表作として人気がある。
 
僕は当時Wham!の熱心なファンではなかった。同じように黒人音楽を志向するアーティストならポール・ヤングの方が好きだった。特に「ケアレス・ウィスパー」は初めて聴いた時から「演歌みたい」と感じた。イントロの泣きのサックス、序盤はしっとりと歌い、最後に感情を込めて歌い上げる展開は、日本人が好む典型的な“泣きの”展開だ。現に演歌歌手ではないが、「ケアレス・ウィスパー」は西城秀樹郷ひろみがカバーしている(秀樹は「抱きしめてジルバ~ケアレス・ウィスパー」として発売)。
 
「ケアレス・ウィスパー」は日本だけではなく、アジア諸国でも人気のある曲だと感じたことがある。90年代初頭にタイのプーケット、フィリピンのセブに旅行に行ったことがあるのだが、両国の空港のBGMで「ケアレス・ウィスパー」が流れていた。セブに至っては宿泊したホテルのディナー・ショーで現地人の女性歌手が歌い、レストランのボーイ達が仕事の手を止め聞き入っていた思い出がある。ちなみにこの歌手は続けて長渕剛の「乾杯」をカタコトの日本語で歌い、大ウケだった。
 
さらにはエジプトでも「ケアレス・ウィスパー」を聴いたことがある。タクシーの運転手がBGMにアラブ音楽ばかり流すので、もう少し落ち着いた音楽にしてくれと頼むと、運転手がテープを代えると「ケアレス・ウィスパー」が流れ、なぜか、どや顔で熱唱し始めたのである。
 
実は本を読んで、このエジプトでの体験の方が、ゴーストライター日本人説より納得がいくものがあった。ジョージ・マイケルの本名はジョルジオス・キリアコス・パネイトゥーで、父親はキプロス島出身のギリシャ系の移民である。キプロス島は地中海の大島で、かつてヨーロッパからは「ヨーロッパの終わるところ」、オリエント(東洋)からは「オリエントの玄関」と呼ばれていた。西寺氏はジョージ・マイケルがルーツに持つ「オリエンタルな憂い」こそが、西欧諸国のみならず、世界中の大衆から支持を得てきた秘密ではないかと推察している。西寺氏は小学六年生の時に担任の先生に「ケアレス・ウィスパー」を聴かせたところ、「日本語にしたら演歌というか、ムード歌謡のようだな」と言われたという。
 
Wikipediaでは「ケアレス・ウィスパー」は高校生時代にジョージ・マイケルが書いた曲をもとに、発表時に相方のアンドリュー・リッジリーが手を加えたとなっているが、これはかなり怪しい。確かにアンドリューは共作者としてクレジットされているが、当時から「作詞・作曲もしない、デュオなのにハーモニーもしない、ギタリストなのに楽器は器用ではない」どころか、そもそもレコーディングに来ないこともあったそうだ。事実、ジョージがスタジオで製作期間中にパブで泥酔し、パパラッチと乱闘してはゴシップ誌を賑わしていたという。僕が当時購読していた雑誌『ミュージック・ライフ』の年始川柳企画でも、「隣は何をする人ぞ」といじられていた。
 
アンドリュー自身、このことは認めており、当時「ジョージがほぼすべての曲を書き、プロデュースしているが、あなたも自分の『我』を出したくならないのか?」というメディアの意地悪な質問に、こう答えているそうだ。
 
「そんなことは、別にする必要はないんだよ。ジョージの書く曲は、僕の好きなタイプの曲でもあるんだ。だから無理に、僕が自分の音楽の趣味を前面に出す必要はないのさ。そういう点でふたりがぶつかり合うことは、まったくないんだ。とにかく彼の書く曲は、僕がこのバンドのメンバーでなかったら、すぐに買いたくなるような曲なんだ」
 
アンドリューは今でも多額の印税収入を得て、サーフィンやゴルフ三昧の悠々自適な暮らしを送っているという。一方、ジョージはWham!解散後のソロ第一作『FAITH』で世界的な成功を収めたが、その後は公然わいせつ罪、ドラッグ所持、自動車事故などでアンドリュー以上にゴシップ誌を賑わす立場になってしまった。
 
噂話をいくらしても結局のところ、事実は小説より奇なり、なのかもしれない。
 
◆追記
Wham!ラスト・クリスマスは数多くのアーティストにカバーされている。一曲一曲YouTubeを貼るのは面倒なので、まとめ記事をリンクさせていただく。
 
 
 
僕はカバー・ソングもクリスマス・ソングも好きで、メジャーなアーティストはあまり聴かないけれども、iPodに18曲も入っていた。友達と楽しく盛り上がるならRap All Starsのヒップホップ・カバー、Whigfieldのハウス・カバー、Mafia & Fluxyのレゲエ・カバー。恋人と二人でしっとりとしたいなら日本人歌手noonのジャズ・カバー。お子さんがいる家族なら、スターバックスがクリスマス企画盤でリリースした『Kids Christmas』収録のボサノヴァ・カバーが可愛らしい。極めつけは、ノルウェーのアコースティック・デュオ、King of ConvenienceのErlend Oyeのカバー。寂しげなギターの弾き語りで、独りでクリスマスを過ごすならもってこいである。
 
日本でも織田祐二、松田聖子らがカバーしているが、個人的にはEXILEの日本語歌詞はいただけない。本の筆者、西寺郷太氏も自身のバンドNona ReevesWham!のカバー・アルバムをリリースしており、当然ラスト・クリスマスも収録されている。本を読んだ後だと、西寺氏がどんな思いでラスト・クリスマスを歌ったのかといろいろ考えたくなるが、Wham!に対する愛は日本一、いや世界一なことは確かだ。
 
追々記
ジョージ・マイケルは2016年12日25日に亡くなった。
 

 

 

 

噂のメロディ・メイカー

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"CHOICE III" BY NONA REEVES