1991年2月のネオアコ界のカリスマ(?)の来日公演レビュー、または青春は一度だけ。


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ツイッターのフォロワーさんのツイートで、イギリスのネオアコ・バンド、The Hit Paradeの来日公演に行ったことがあるというのを見かけ、懐かしいと思い、

ひょっとして、エドウィン・コリンズ@川崎クラブ・チッタでのオープニングアクトでしょうか? ブリッジも出演しましたよね。フリッパーズのお二人がエドウィンのアンコールの“Falling and Laghing”で激しく体を揺らしていたのを見かけた覚えがあります。
とツイートしたら、その公演ではないので、どんな感じだったのかと聞かせてほしいと返信があった。手元に大学時代に所属していた音楽サークルの同人誌でライブレビューを僕が書いてたものがあったので、それを元に四半世紀前の昔話を綴ることにする。
 
当時、僕はフリッパーズ・ギターにはまっていて、彼らが影響を受けたと雑誌やラジオで紹介するアーティストも聴きたいと思っていた。しかし、彼らが紹介するネオアコ/アノラックのアーティストのほとんどは1980年代に活動し、すでに解散してる場合が多く、レコードは廃盤になっていた。僕がツイートしたエドウィン・コリンズが在籍していたバンド、Orange Juiceもその1つ。セカンド・アルバムの『Rip It Up』(邦題:キ・ラ・メ・キ・トゥモロー)は輸入盤CDで再発されていたが、フリッパーズ・ギターが名盤と盛んに紹介し、彼らのバンド名の由来でもあるイルカがジャケットのファースト・アルバム『You Can’t Hide Your Love Forever』は発表時に日本盤はリリースされなかったので、幻の一枚になっていた。
 
そのアルバムが、雑誌のインタビューでフリッパーズ・ギターの二人が自分達の熱望により1991年3月1日にCDで再発されると発言したことを知り、僕は喜んだ。発売日にバイトの給料も入った僕は勇んで渋谷HMVに行ったのだが、いくら探しても見つからないので、店員に尋ねると「そんなものは入荷してない」の冷たい一声。意地になり発売元のレコード会社に電話で問い合わせると、イギリスのレコード会社と版権でもめ発売延期になり、いつリリースされるかは未定との回答だった(このアルバムはその後、めでたくCDで再発され、ライナーにはフリッパーズ・ギターの二人の対談が掲載された)。
 
発売延期に途方にくれていた僕だったが、実はその数ヵ月前に日本の輸入・中古レコード屋のヴィニール・ジャパンがこのアルバムの別テイクと未発表曲+スタジオセッションを収録したブートレグ『Fallin’ & Laughin’』をリリースしていた。さらに発売を記念し、エドウィン・コリンズの来日公演まで実現することになっていた。前置きが長くなったが、かくして、1991年2月13日にエドウィン・コリンズ初の来日公演、オープニング・アクトはThe Hit Parade、THE BRIDGEが、クラブチッタ川崎で開催されたのである。
 
ここからは、当時僕が書いたライブレビューを抜粋していきたいと思う。かなりの拙文なのだが(今とあんまり変わらないか)、自分で読んででも恥ずかしさを通り越して笑えるので引用したい。お目汚しになるがお付き合いいただければ幸いである。画像ではわかりにくいかもしれないが、僕のライブレビューの隣ページはチェッカーズ。大学のサークルの同人誌だけあって、取り合わせがチグハグなのも余計に笑える。
 
今日は、全国ネオアコ大集会の日ーー誰がなんと言おうとそうなのだ。ネオアコ界のカリスマ、あの元Orange Juiceのエドウィン・コリンズがこのクラブチッタ川崎でライブをやるのだ。しかも、ゲストにTHE BRIDGEとThe Hit Paradeを迎えるという超豪華な取り合わせで、だ。
 
うーん、我ながら大学生のくせして厨二病全開の力んだ書き出し(苦笑)。渋谷直角あたりにイジられそうだ。まずは、現在も活躍されているカジ・ヒデキさんが在籍していたTHE BRIDGE。
 
THE BRIDGEのメンバーはカチコチに緊張していたみたい。5曲ほどの短いステージだったけど、“He, She&I ”のベース・ラインのカッコ良さがアルバムで聴いた時よりもはっきりと伝わってきて、あらためていい曲だなぁと思った。
 
続いて、後にポリスターから日本デビューもしたThe Hit Parade。
 
二番手のThe Hit Paradeは文句なしのポップなライブを見せてくれた。3分のポップ・ソングを立て続けに演奏する彼らのステージはすごくシンプルだし、3人だから音もスカスカだし、おまけに彼らはみんなお世辞にもうまいと言えないぐらい下手っぴだ。でも、楽しそうに演奏をしている彼らを見ていると「まぁ、それもご愛敬」っていう感じ。(中略)。とにかく思わず口ずさみたくなるようなポップソングが目白押しの、本当に楽しくてハッピーなステージだった。
 
そして、メインアクトのエドウィン・コリンズ。
 
後にいた人も前につめかけ、彼がステージに現れると歓声が渦のように巻き起こる。「カッコいい!」なんて言う人もいる。黒のリッケンバッカーを弾きまくり、歌いまくり、アクションを決める彼の姿は、確かにエルヴィス・プレスリーみたいにカッコ良かった(中略)。何処から見ても非の打ち所のない、完璧なロックンロール・ショーだった。
 
アンコールでエドウィンはOrange Juiceのファーストアルバムに収録されている“Fallin’ & Laughin’”をギター1本で熱唱した。アンコール前はソロの曲しかやってなかったので、会場は大盛り上がりになった。この曲はフリッパーズ・ギターの二人がラジオでかけたり、彼らと親交のあるライターの瀧見憲司氏がクラブで回していたので、ネオアコ・クラシックとして知られていた。この時、後から二人の男性が前に押し寄せてきた。フリッパーズ・ギターのお二人で、エドウィンのギターのカッティングに合わせて激しく体を揺らし、一緒に見に行った女の子の目が釘付けになった。
 
ライブが終わり、みんな満足気だった。ところが、僕の感想は違った。
 
…だけど、僕はすごく複雑な気持ちだった。確かにエドウィンはすごくカッコ良かった。でも、それは僕が見たかったエドウィンじゃなかった。Orange Juice解散後、彼が発表した2枚のアルバムはアメリカよりのロックンロールだった。それも、どちらかというと1960年代のアメリカのフォークロックに近いものだった。別に、僕はフォークロックが嫌いというわけでもないし、彼のソロアルバムもちゃんと持っている。でも、僕が彼に期待しているのはエルヴィスじゃなくて、ネオアコなんだ。
 
今はソロアルバムのレイドバックした感じがいいと思うのだが、それは僕が年を取ったからだろう。
 
僕はネオアコが大好きだ。たとえ、ロックをダメにした音楽であっても、何の衝動性も発展性もなくても、人に言うのがちょっと恥ずかしい世界であっても、だ。僕は最近、すごく「モラトリアム」にこだわっていた。僕は「モラトリアム」というものを別に悪く考えていなかったし、むしろモラトリアムだからこそ生まれるものもあると肯定的にとらえていた。でも、この日歌われた“Ghost Of A Chance ”を聴いて僕の心は揺らいだ。エドウィンはこの歌の中で「新しい歌を探しているんだ いつまでも昔にとらわれたくないんだ 誰にだってチャンスが必要なんだ」といった感じのことを歌っている。何か、身につまされるような気がした。

 

当時、雑誌ロッキングオンで「フニャモラー」という言葉が流行っていた。ネオアコやマンチェなどの青臭さのある音楽をやるイギリスのアーティスト、それを聴く男を「フニャフニャしたモラトリアム(簡単に言えば軟弱者)」と揶揄する言葉で、自虐の意味にも使われていた。

 

もちろん、僕だっていつまでもフニャモラーじゃいけないことはわかっている。それをネオアコ界のカリスマ的存在のエドウィン・コリンズのライブで感じるとは、僕にとってすごく皮肉なことだった。…悪いけどエドウィン、今日のあなたには“three cheers ”を送る気には僕はなれないよ。

 

以上、かなり長くなったが、僕の1991年2月13日の思い出である。もちろん、これは個人的なものであり、違う感想を持った人も当時いたはずだ。ただ、Wikipediaなどを見ていると、リアルタイムだった者としては違和感を感じることもあり、幸い今回は大学時代に自分が書いた文章が手元にあったので、書き留めるのもいいと思った。

パソコンもネットもなかったあの頃、僕らは誰かから聞いた話じゃなくて、自分の目で見たライブ、耳で聴いたレコードのことをワープロで原稿を打ち、感熱紙に印刷し、それを縮小コピーし、雑誌などからコピーした写真とともに方眼紙にのり付けして版下をつくり、町の小さな印刷所に印刷・製本を頼んでいた。そんな手作りのアナログなものだって、時代の証言になることもあるはずだ。

ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。最後に一言、青春は一度だけ。(←今もあの頃とあんまり変わってないか…)