僕の東京レコ屋ヒストリー

若杉実さん著『東京レコ屋ヒストリー』を読み終えた。日本最古の輸入レコード店から、1970年代の海外買い付け事情、1980年代に拡大した輸入レコード屋の栄華、1990年代の“渋谷系”を産んだ宇田川町のレコード屋の争い、そして現在一部でまた盛り上がりつつあるレコードの状況まで、綿密な取材で綴られており、とても読み応えがあった。

 
という訳で毎度のことだが、のっかって、僕の東京レコ屋ヒストリーというか、思い出話。初めて輸入レコード屋に行ったのは中学生で、渋谷の宇田川町にあった頃のタワーレコード(現在サイゼリア)。洋楽を聴き始め、雑誌『ミュージック・ライフ』を熱心に読んでいた頃で、巻末に掲載されていたイギリスのヒットチャートで当時1位だったが、日本ではまだリリースされていなかったポール・ハードキャッスルの12インチシングル「19」が欲しくて、行ったはずだ。
 
地元の小さなレコード屋(千代田商会というレコード屋とは思えない屋号)しか行ったことがなかったので、タワーレコードの広さに驚き、店内をうろつくメタル・ファッション、パンク・ファッションの客にびびった。中学生のお小遣いで12インチシングルを一枚買うのがやっとだったが、見たことのないレコードのジャケットを眺めるだけでも楽しかった。しかし、何度か行くうちにタワーレコードアメリカのレコード屋であることがわかり、僕が好きだったイギリスの音楽に強いCISCO(2007年に閉店)を知り、行くようになった。
 
大学生になり、アルバイトをするようになってからは、レコ屋通いが日課になった。1989年にストーン・ローゼズのデビュー・アルバムがリリースされ、UKインディーズに夢中になり、愛読書が「ロッキング・オン」に変わった。NHKの衛生放送の番組「トランスミッショッン」で大型新人と紹介されたRIDEのデビュー12インチシングル(通称:赤RIDE)が欲しかったのだが、まだCISCOに入荷されていなかった。所属していた大学の音楽サークルの先輩に渋谷にある輸入盤屋のZESTに行けばあると教えてもらったのだが、行ってみたら雑居ビルの小さな一室で、すごい緊張したのを覚えている。
 
やがて渋谷にレコ屋・CD屋が次々とできた。WAVE(現在のLOFT)、HMV(現在のパチンコ屋マルハン)と大型店がオープンし、イギリスのジャイルス・ピーターソンや日本のUnited Future Organizationなどによるジャズ・ブーム、橋本徹氏主宰のサバービアによるフリーソウル・ブームが起きてからは中古レコード屋が一気に増えた。当時僕がよく通っていたのは、SOUL VIEW、PERFECT CIRCLE、RECORD FINDER、FANTASTICAなど。中でも、Hi-Fi Record Storeが一番好きで、レコードだけでなく、店長の大江田信さんの音楽話を聞くのが楽しみだった。ハワイの音楽に興味を持った頃、大江田さんが大好きなハワイのスラッキー・ギターのお話を聞かせてもらい、「こういうの好きなんじゃないかな」とわざわざバックヤードから取り出してきて、売ってもらったRay Pelartaのレコードは今でも宝物だ。
 
大江田さんは、「レコード屋は対面接近商売」だとよく仰っていた。
「SPの時代はそれこそ漢方薬の薬屋さんみたいなもので、おじさんがちょこんと座っていて、その後ろにレコード棚が並んでいた。またはSPをお屋敷にかついで行き、聴いてもらって買ってもらっていた。レコード屋はいわば『番頭のいる商売』で、僕はそんな店を目指しているんです」(モンド・ミュージック2より一部抜粋)

2000年代に入ると、渋谷宇田川町のレコード屋ブームも下火になり、通っていた輸入盤屋・中古屋がどんどん閉店していった。僕も体を壊して仕事を休んでいる間に、レコ屋に全く行かないようになってしまった。ところがDMRの跡地にHMV Record Shopが開店し、2013年からはレコード・ストア・デーも始まり、レコードに対する注目が盛り上がりつつある。事実、CDの売上が下降し続ける一方で、レコードの売上は増加傾向にある。

http://matome.naver.jp/m/odai/2141872304627860001

もっとも、レコードの売上が増えても、それを売るレコード屋が活性化してこそだと思う。若杉実さんも書いているように、レコードはもとめるものではなく出会うものであり、その出会いをもとめてレコード屋に行くのであって、その出会いには大江田さんが言う番台のような人がいてほしいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

東京レコ屋ヒストリー

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