書けぬ、どうしても書けぬ。

今年に入ってから3ヶ月近くブログを更新していなかった。

 

そもそも個人的な音楽語りが主なのだから、ツイッターがあれば事足りるのだが、やはり140字では言い尽くせないこともある。とは言え、ある程度の文少量を書くためには時間が必要になる。編集者をやっていた頃に比べれば今は遥かに時間があるのだが、時間があると却ってだらだらするのが人間の常で、あのCDや本について書こうと思いながら、結局後回しにしている。ちなみに候補だったのは、小沢健二「流動体について」、野中モモデヴィッド・ボウイー変幻するカルト・スター」、山内マリコ「東京23話」を模した自分が育った町のエッセイ、などである。

 

ブログはあくまで個人のログなので書かなくてもいいと言ってしまえばそれまでなのだが、最近衰えの激しい記憶力を鍛練するためにもせめて一ヶ月に一度は更新したい。それなのに、なぜやらないのか。答えは簡単。ブログには〆切がないから。

 

しめきり。そのことばを人が最初に意識するのは、おそらく小学生の夏休みの宿題です。(中略)あれほど追いつめられて発狂寸前まで苦しんだはずなのに、いつの間にか叱咤激励して引っ張ってくれている、〆切とは不思議な存在です。

 

明治から現在に至る様々な分野の書き手たちの〆切にまつわるエッセイ、手紙、日記、対談などを集めた『〆切本』は、こういう時に拾い読みするのに適した本である。そして読んだ後、作家を気取って再び思うのだ。書けぬ、どうしても書けぬ、と。

 

〆切本

〆切本