自分的YMO40周年~ハジレコもハジライブもYMO


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先日、YouTubeYellow Magic Orchestraの2008年のロンドン公演が配信されたが、今年2020年は自分がYMOを初めて聴いてから40周年であることに今更気づいた。

 

「ハジレコ=初めて買ったレコード」についてSNSで話題になることがあるが、僕が10歳の時に初めておこづかいで買ったレコードはYMOの「ライディーン」である。ただし正確に言うと「買わされた」だ。親戚の家に遊びに行った時に子供相手に疲れたのか叔母が「好きなもん買ってきなさい」とおこづかいをくれた。僕は当時ドラえもんが好きでコミックを買いたかったのだが3つ年上の兄にレコード屋に連れてかれ、「ラジオで聴いたけどこれいいぞ」と兄は「テクノポリス」を買い、僕は「ライディーン」を買わされた。

 

武者のようなロボットみたいなものが目からレーザービームを出したイラストのジャケットで「勇者ライディーンとは違うアニメなのか」と思ったが、兄は「テクノって言う新しい音楽だ」と言った。家に帰ってから兄が「テクノポリス」をかけると「トキオ!」とコンピューターが喋る音が出て驚いた。兄はボコーダー」と自慢気に言った。さらにオルガンとは違う機械みたいな今まで聴いたことのない音が流れてきた。「シンセサイザーだ」と兄はまた自慢気に説明した。次にかけたライディーンも途中で「ヴォー!」とか「ピュンピュン!」とインベーダーゲームみたいな電子音が鳴った。「これおもしろい!」と兄以上にハマり何度も聴いた。

 

母が洋楽好きで家でラジオのFENをよく流していたが、音楽に対して早熟だったわけではない。テレビのベストテンなどの音楽番組で流れる歌謡曲にもあまり興味はなかった。当時は宇宙人やUFOブームでそっちに夢中だった。YMOの御三方の写真も無表情で宇宙人が人間に化けているようだった。要するに子供の好奇心を引くには充分過ぎる存在だったのだ。友達に聴かせたら同じようにハマり、「コンピューターが自動で演奏してるんだ」「こいつら本当は宇宙人かもしれないぜ」とまさに小学生レベルのウソを言い合っていた。

 

偶然は重なるもので叔母の夫、つまり叔父が富士フイルムの宣伝部で働いていた。マニアの方ならご存知の通り「テクノポリス」はフジカセットのCMに使われていたので、叔父の計らいで1980年12月の日本武道館のライブをアリーナ席で見ることができた。これが僕にとっての「ハジライブ=初めてのライブ」になる。初めての大音量とまばゆい光の演出でクラクラしたが、「千のナイフ」(もちろん当時は教授のソロとは知らず初めて聴いた)で御三方とサポートメンバーがサビの部分で揃ってスカーフを頭上で回す姿がカッコ良かったのは今でもよく覚えている。

 

翌年「BGM」を貯めたおこづかいで買った。「ハジアルバム=初めてのアルバム」である。レコードから流れてきた一曲目の「バレエ」の不安定で暗い音に最初はがっかりしたが、A面最後の曲の「千のナイフ」はライブを思い出すカッコ良さで買って良かったと思い直した。レコードをB面にひっくり返し「U.T.」が始まると妙に勢いがある曲で中盤になると御三方のあの奇妙なお喋りが始まり「やっぱりヘンだ!」と思い、同級生に聴かせ「お聞きになりますか?」「まさか!」をクラスで流行らせようとしたが今度は不発だった。

 

「ウィンターライブ」もまたもや叔父の計らいで行くことができた。今も「BGM」「テクノデリック」が好きなアルバムなので最高のライブだったはずなのだが、残念ながら御三方の姿がよく見えないヘンテコなセットでアンコールでやっとテクノポリスとコズミックサーフィンを演奏してくれたことぐらいしか覚えていない。どちらかと言うと会場が新宿コマ劇場だったので、帰り道の歌舞伎町の方が小学生にとっては刺激的だった。

 

YMOの「散開」を何で知ったのかは覚えてはいないが、特に驚いたり悲しんだりはしなかった。中学生になって洋楽を聴き始め海外アーティストの名前を覚えることに夢中になり、邦楽を聴く同級生を見下す「中二病」ならぬ「中一病」だったこともあるが、初めて聴いて好きになった洋楽はハワード・ジョーンズだったのでシンセサイザーの呪縛からは逃れられなかったと言える。なので「浮気なぼくら」もしっかり同級生に勧めていた。

 

「散開ライブ」も同級生と行った。今度は青山のウドーに並び自分でチケットをとった。すでにチケットぴあはあって印字プリントのチケットが主流になりつつあったが、厚紙の特別製で今でも大事にとってある。東2階席だったが御三方が上下するステージセットだったので、細野さんがベースを弾く姿は肉眼で確認できた。セットリストも初期の代表曲をかなりやってくれ御三方のパワフルな演奏が聴けたし、これまでと同様にMCもなかったので(唯一あったのは細野さんのサポートドラマー、デヴィッド・パーマーの紹介だけでしかも英語)、解散コンサート特有の感慨はなかった。(余談になるがYMOのMC無しライブに慣れていたので未だにライブのMCには違和感を感じる)。

 

翌年見た映画「ブロパガンダ」のラストシーンで、散開コンサートの豪華なセットは燃やされた。派手な演出だとは思ったが、エンドロールで流れた当時のYMOとしての最後の曲「Mー16」がビートルズの「愛こそはすべて」みたいな明るいポップスだったので(通ぶるわけではなくYMOでいちばん好きな曲)、これまた悲しさはなかった。何よりなんだかよくわからない内容で、素直にライブ演奏を流せばいいのにとむしろ残念に思った。

 

その後の1993年の東京ドームでの「再生」、2007年のパシフィコ横浜での「HAS」、ライブ・アースの東寺の「YELLOW MAGIC ORCHESTRA」を見てるせいか、YMOが解散したという事実は希薄で聴いても郷愁を覚えることがない。子供の頃に感じた「未知との遭遇」感は未だに残っている。冒頭のロンドン公演が12年前なのに今の閉塞感ある社会にやけに合うと感じたのは、偶然という必然なのかもしれない。

 

Get your mind right
I'm on your side
Progress or regress
Why not go forward

 

RESCUE/HASYMO