「今年がこうなるとは誰も予想できなかっただろう」というより「来年はこうなるという将来予測は不確定要素によってあっさりと覆される」。某環境大臣の言い回しみたいだがとにかく2020年はそういう年だった。
自分の記憶を遡るとコロナ禍を身近に感じたのは2月24日に渋谷のLiーpoで見たファン・フェルミン・フェルナンデスのライブだったと思う。事前アナウンスがあったわけでもないのに私を含めた来場者は全員マスクをし、騒ぐような内容のライブではなかったとはいえ終始無言だった。ファンが奏でるピアノの音色が気味悪いほど静謐な空間に鳴り響き、カエターノ・ヴェローゾがジョアン・ジルベルトのギターと声を「静寂より静かな音」と評したのはこういうことかと思った。ファンが所属するバンド、クリバスのライブは中止になる日もありアルゼンチンから遠い日本に来てくれた彼らが不憫だった。
3月に行く予定だった折坂悠太のライブも中止になり、5月の小沢健二のライブも延期、結局見ることができたのは緊急事態宣言解除後の6月19日の木下ときわだけだった。アンコールのQUEENの「悲しき世界」のカヴァーはコロナ禍の気分に沁みた。
美術展もほとんど行けず2月の佐藤健寿の写真展「横浜大奇界」、7月の井出靖の「VINTAGE T SHRT SCRAP」展、コロナ禍で中止になりながらも作品を返却できないため奇跡のアンコール開催となった9月の「永遠のソール・ライター」展、12月の「長岡秀星回顧展」だけだった。
マスクが必需品となったがどうせするならとかなり遊んだ。アベノマスクは未開封のままである。
それでも互いの誕生日と結婚記念日がある9月は例年通り馴染みの店で祝うことができたし、クリスマスも地元の店で食材を揃えることができた。
何より仕事に関しては4~5月のステイホーム期間に休業日が4日間あった以外はいつも通りで、仕事量が減ることも増えることもなかった。片道1時間の通勤時間の間に音楽を聴くのも変わらなかったし、聴く内容は量的にも質的にも変化はなかった。
放置気味だったブログを今年頻繁に更新したのは2020年という特殊な年を「 Web」に「Log」したかったからに他ならない。いつも通りにならないことも多かったが例年通りだったこともある。2021年がどんな年になるかはわからないが「その時」が来るまで「それでも人生は続く」のだから。