めざめると朝はまだとてもはやい朝
カーテンは光をたっぷりと湛えて踊る
恋人はベッドでまだ寝息をたててる
大好きなくちびるに甘く光るよだれ
めざめ/ピチカート・ファイヴ
コロナ禍が始まって以来、ますます妻は夜型になり一昨日の土曜は6時(もちろん午前ではなく午後)になって起きてきた。寝ぼけ眼で緊急事態宣言が延長しそうだというニュースを見た妻は「またしばらくテレワークで通勤なしだー」と喜んでいたが、「でもまたしばらくはお出かけが不自由だよ」と言うと不機嫌になった。意地悪を言うつもりはないのにいつも現実的なことを言って妻の反感を買うのは僕の悪いくせだ。
そういえば昨年の春の緊急事態宣言が延長したときにも妻は「延びるんなら延びるでいいよ」という感じだったが、これは精神科医の斎藤環氏がBuzzfeedのインタビューで答えていた「コロナロス」「コロナ・アンビバレンス」かもしれないと思った。
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-tamakisaito-1
身近に感染者がおらず、自分もコロナ感染を経験していない人の中には、生活がむしろ楽になったという人が意外なほどいる。気が重かった行事や会合やイベントが全部飛んで、それはそれでありがたいと感じている人もいる。ありがたくはなくても、この生活に慣れてしまったという人もいる。
そういう人には心理学でいう「現状維持バイアス」が働きます。今の状況は困った面もあるけれど、急に変わってしまうのも抵抗がある、というところがあると思うのです。
ごくまともな反応だと思います。病理と考える人もいるかもしれませんが、災害に対する受け止め方はそういうところが多分にあると思っています。誰もが災厄を自分ごととしてとらえられるわけではない。安全圏から「対岸の火事」を眺めつつ、わが身の幸運を噛みしめるのは自然な感情でしょう。
災厄に対するアンビバレントな心情は昔からあったのだろうと思います。それを僕は、日本人の「適応力」と考えられるかもしれないと思います。
自分はどうだろうか。職場がオンラインショップでコロナ禍でも通常営業のため、相変わらず定時通勤し仕事の内容も量もほとんど変わらない。幸いなことに職場では感染者も出ておらず、「コロナロス」「コロナ・アンビバレンス」を感じる以前に仕事に限って言えばコロナ禍以前と大して変わりはない。埃っぽい職場なのでマスクは以前からよくつけていたし、強いて言えばこまめに手荒い・消毒するので手がツルツルになりスマホの指紋認証が時々反応しないので困る程度だ。
ただ、自粛や短縮営業を強いられるなか、オンラインが頼みの綱というのはウチの会社に限らずどこの業界も同じ状況だろう。妻のように在宅でできる仕事なら緊急事態宣言が終わったからと言って元に戻す必要はないと感じる。給与面では成果主義だとか言いながら定時出社を美徳とする日本の企業の古臭い考え方を改めるのにはいい機会だ。とはいえそれを「ウィズ」とか「ポスト」とか言うのはやはり違うと思うし、「ロス」と感じるのもおかしいと思う。「元通りの社会」というのはまだまだ時間がかかるだろうがすべてがオンライン化した社会はやはり物足りないし、そもそも百害あって一利無しのウィルスなんだから。
と思いつつも今日もぐっすりと眠る妻を起こさないよう
トランクに少しだけ荷物をつめて
大好きな恋人にキスして出ていく
それじゃ、またね
すぐ帰る
めざめ/ピチカート・ファイヴ