80's洋楽ポップスの栄華の終焉後、リズム帝国を築いた女帝~ジャネット・ジャクソンと80's ディーバたち

 

 

1983年4月。僕は中学生になり、洋楽を聴こうと思った。小学生の時にY.M.O. にはまった僕は、マッチだ、トシちゃんだ、聖子だ、明菜だ、とアイドルに夢中になる友達を、ガキだなと見下す音楽オタクだった。周りの奴らと差をつけるなら、次は洋楽だと思ったのだ。中二病ならぬ、中一病である。

 

ちょうどタイミング良く、カルチャー・クラブデュラン・デュランワム!などのブリティッシュ・インヴェィジョンが起きた。 洋楽雑誌『ミュージック・ライフ』を毎月買って巻末のビルボードとブリティッシュ・チャートをチェックし、母親に早く寝なさいと叱られながらもベスト・ヒットUSAを毎週見て(まだ家にビデオはなかった。しかも我が家が初めて買ったビデオデッキはベータ)、レンタル・レコード屋に通い、カセットテープにダビングし、さらにダブル・カセット・デッキでダビングしてマイ洋楽ベスト・テープを作り、友達に配って布教していた。

 

ところが1986年4月、高校生になると、僕が好きだったイギリスの洋楽グループは次々と人気が落ちた。ワム!が解散し、カルチャー・クラブボーイ・ジョージがヘロイン所持で逮捕され、デュラン・デュランからアンディ・テイラーロジャー・テイラーが脱退した。周りの友達もキャッチーな洋楽ポップスに飽き始め、新しい音楽をみんな聴きたいと思っていた。

 

80's洋楽ポップスの終焉。群雄割拠の混乱した時代を征し、リズム・ネイションの女帝として君臨したアーティストこそ、ジャネット・ジャクソンであると唱えるのが、西寺郷太さん著『ジャネット・ジャクソンと80'sディーバたち』だ。

 

正直に言うと、僕はジャネット・ジャクソンはあまり聴かなかった。僕が崇拝していたのはプリンスだった(西寺郷太さんもプリンス崇拝者だが)。ところが、このジャネ本を読むにあたってジャネット・ジャクソンのベストを聴いたのだが、ほぼ全曲口ずさめた。

 

プロデューサー・チームであるジャム&ルイス(プリンス・ファミリーのタイムの元メンバー)が生み出した耳に響く打ち込みのリズムとジャネットの抑制したクールな歌。その後、登場したブリトニー・スピアーズビヨンセ、リアーナなどの女性アーティストのリズムは確かにジャネットのリズム革命をベースにしている。郷太さんも指摘しているとおり、安室奈美恵宇多田ヒカルもジャネットの影響下にある。ジャネットはまさにリズム・ネイションの女帝なのだ。

 

(余談だが、日本の一般的な知名度という点では、ものまね王座決定戦で松居尚美がリズム・ネイションをやったぐらい、ジャネット人気は日本のお茶の間に浸透してた)

 

今回のジャネ本で、僕が面白いと感じたのが二つ。まずタイトル通り、ジャネットだけでなく、同時代のライバルとしてマドンナとホイットニー・ヒューストンについてもかなりページを割いていること。ジャクソン一家というエリート・ファミリーに生まれたが故のジャネットの苦悩、下積み時代のヌード写真を暴露されたことも芸の肥やしにしてしまうマドンナの上昇思考、類いまれなる歌唱力と容姿に恵まれながらも恋愛には見放されたホイットニーの対比は、大河ドラマなみの波乱万丈だ。さらにはホイットニーの夫であり、ジャネット、マドンナとまで関係をもった色男、ボビー・ブラウンまで登場し、昼ドラなみのお色気もある。

 

もう一つは、1985年と1986年のターニング・ポイントは、南アフリカアパルトヘイト反対として発表されたシングル「サン・シティ」であると指摘していることだ。なぜこの曲が郷太さんが主張する「ファンタジーからリアルへのターニング・ポイント」であり、後のジャネットの活躍にどう関係しているのかは、ぜひジャネ本を読んでほしい。当時このシングルを買った僕はそこまで深く考えていなかったが、アフリカ難民救済チャリティー・ソング「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」では純朴だったU2のボノが、「サン・シティ」では髭を生やし睨むような目付きで「サン・シティでは演奏なんてしない!」とシャウトしていたのが印象に残っている。

 

 https://youtu.be/-7ThzV7yeSU

 

西寺郷太さんはこのジャネ本が、洋楽本の最後だと宣言している。マイケル、ワム!、プリンス、ウィー・アー・ザ・ワールドの呪いと、リアルタイムならではの豊富な知識とミュージシャンならではの視点で80's洋楽の素晴らしさを啓蒙してきた郷太さんの洋楽本がもう読めないのは残念で堪らない。YouTubeApple Musicで過去の音楽に自由にアクセスできる今のような時代こそ、郷太さんのような水先案内人が必要なのだ。