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ライナーノーツはどこへ? 或いは、僕らがCDを買う理由

柴田元幸責任編集の文芸誌『MONKEY』の特集「音楽の聴こえる話」が面白かった。お目当ては、小沢健二執筆の「赤い山から銀貨が出てくる」。ボリビアの銀山の歴史の話がヨーロッパのクラシック音楽楽器の考察に発展する巧みさに、言葉の魔術師健在!と感嘆したのだが、もう1つ言葉にこだわる雑誌ならではのアンケート企画だと思ったのが、「あなたの好きなアルバムの、ライナーノーツを書いてください。」だ。

タイトルだけを読むと文芸誌にありがちなアンケート企画のように思えるが、柴田編集長による企画意図の前書きを読んで、思わず「そうだよな」と頷きたくなった。

かつて、LPレコードを買うことは、命がけの跳躍と言ったらまあ言い過ぎだとしても、けっこう大きな冒険ではありました。買ったら、じっくり何度も聴いて、聴きながら、ライナーノーツを隅から隅まで読んだーというのはたぶん、僕を含む、人生すでに後半に入ったたいていの人間に、覚えのある体験ではないかと思います。音楽はダウンロードするもの、というのが標準になりつつある(のかどうかも、僕には実のところよくわからないのですが)今日、もちろんそれとは別の形で別の快楽が得られるようになっていることは間違いありません。が、ライナーノーツをじっくり読みながら音楽に聴き入ったときの、あの独特な感じを、いろんな世代の皆さんと共有できたら、それはそれで楽しいのではーそう思って、ご依頼申し上げる次第です。

僕は年齢的にはこの企画の対象の世代になる。レコード、CDを買ったらライナーノーツを読む。もちろん中にはこいつ何もわかってない!と音楽評論家の文章に腹が立つ時もある。輸入版や中古版だとライナーノーツはおろか、作詞・作曲や参加ミュージシャン、プロデューサーのクレジットすら記載されていないものだってある。そういう時はジャケットを見ながら、架空のライナーノーツを空想したりする。余談だが中古版だと自分のサインや購入した年月日を書いたり、曲目に◎や×、Good!やBad…などの採点をしたり、中にはアーティストの顔に髭を書いたり角を生やすなど小学生レベルの落書きをする外国人もいるので、元の所有者はどんな人だったのだろうと妄想するのも楽しい。つまり、儀式のようにライナーノーツを読むことが身に付いてしまっているのだ。

音楽ソフトがレコードやカセットからCDに、さらにはデータへと変化することで、レコードプレーヤー、CDプレーヤー、カセットデッキ、MDプレーヤーはもはや絶滅危惧種となった。今はスマートフォンに音楽をダウンロードし、聴くというのが主流だろう。僕もCDを買ってくるとパソコンに音楽データを取り込み、iPodに転送するというのがいつの間にか儀式になっている(レコードは面倒臭いのでやらない)。スマートフォンではなく、iPodというのが微妙に時代遅れなのだが。

それでも、家で音楽を聴いてる時は相変わらずライナーノーツやジャケットを見る。実は買った時はきちんと読むが、それ以降はただ眺めているというか、手にしているだけである。要するに手持ち無沙汰で、あると安心する、スヌーピーライナスの毛布みたいなものなのだ。

スマートフォンでも最近は歌詞が表示されるアプリはあるし、聴いてる音楽に対する評論やクレジットを知りたいのならネットにつなげば、かつての紙のライナーノーツ以上の情報を得ることもできる。それでも紙のライナーノーツにこだわる言い訳はあるだろうかと考えていたところ、松本隆の作詞活動45周年トリビュート『風街であひませう』の限定版を購入し、その答えがあるのではと思った。

音楽CD、歌詞の朗読CD、さらには歌詞はもちろん、解説、対談、短編小説まで収録された120ページ以上のハードカバーの書籍のようなつくり。音楽と朗読を耳で聴き、歌詞を目で追いながら口を開かず音読し、ページをめくりながらマット紙の手触りを感じ、さらにはインクの匂いまで嗅ごうとする。まさに五感で楽しむものだった。

スマートフォンなら、目、耳、口は使うが、触覚についてはタッチパネルを指で操作するだけで、どの音楽でも同じ動作になり、味気がない。嗅覚はもちろん無理だ。僕は中古レコードあの独特の匂いが好きで、音楽の歴史を感じる(単なるカビ臭だが)。よし、完璧な理論だ!と妻に力説しようとしたが、「屁理屈は止めて現実を見て。もう棚に入らなくなりそうじゃない。年末の大掃除より早く整理が必要になりそうね」とあっさり論破された。妻が見ていたテレビ「月曜から夜更かし」には、他人から見ればガラクタとしか思えないモノを捨てられず悩むおっさんが写っていた。

MONKEY Vol.6 ◆ 音楽の聞こえる話

MONKEY Vol.6 ◆ 音楽の聞こえる話