プリファブ・スプラウトの音楽 ー 永遠のポップ・ミュージックを求めて

「“アルバム”って、覚えているかい?   “アルバム”は、今も重要だ。本や黒人の命と同じように」。

 

2015年のグラミー賞授賞式で最優秀アルバム賞のプレゼンテーターとして登場したプリンスは、会場の聴衆に向けてこう語りかけた。80年代、プリンスは「Purple Rain」で大ヒットを飛ばした後、「Around The World In A Day」「Parade」「Sign Of The Time」と次々に作風の異なるアルバムを発表した。セールス的には成功しなかったが、これらのアルバムは20世紀に発表された重要な作品として、今でも高い評価を得ている。

 

1960年代後半、ボブ・ディランビートルズの登場によってロック/ポップ・ミュージックはシングルからアルバムで評価されるようになった(皮肉なことに現在の音楽シーンはシングル評価に逆戻りしているが)。こうした80年代以降の音楽の世界において希有な存在として活動を続けるバンド、それがプリファブ・スプラウトであるーと唱えるのが、渡辺亨氏の「プリファブ・スプラウトの音楽 ー 永遠のポップ・ミュージックを求めて」である。

 

本の帯には、「プリンス、マイケル、マドンナと同時代を並走してきたポップ・マエストロ、パディ・マクアルーン(注:プリファブ・スプラウトの中心人物)の創作の魅力を解き明かす」と記されている。プリファブ・スプラウトをあまり聴いたことのないうちの妻は、「そんなに売れたバンドだっけ?大きく出過ぎじゃない?」と言った。確かにセールス的には、プリファブ・スプラウトは彼らには遠く及ばない(パディ・マクアルーンはプリンスの音楽のファンなのだが)。しかし、彼らの音楽が今も色褪せないのと同じように、プリファブ・スプラウトの音楽はポップで親しみやすく、難解ではない。それなのに、本書を読むと、パディ・マクアルーンの作詞・作曲がいかに凝っているかがわかる。音楽だけでなく、文学、映画、宗教、都市の成り立ちや歴史など、さまざまなエッセンスが詰まっている。だからこそ、プリファブ・スプラウトの音楽はプリンス、マイケル・ジャクソン、マドンナ、ひいてはボブ・ディランビートルズのように深読みしたくなる存在なのだ。

 

例えばセカンド・アルバムの「STEVE McQUEEN」(アメリカとカナダでは商標登録の理由で最初は「Two Wheels Good」というタイトルで発表された)。スティーブ・マックイーンは言わずと知れたアメリカ人の俳優だが、なぜイギリスのバンドで、どちらかと言えば軟弱なイメージのプリファブ・スプラウトが、男臭い俳優の名前をアルバム・タイトルにしたのか、興味が湧いてくるだろう。後の「ラングレー・パークからの挨拶状」「ザ・ガンマン・アンド・アザー・ストーリーズ」でも、パディ・マクアルーンはアメリカ文化を題材にしており、本を読みながらアルバムを聴いていると、アメリカの歴史を旅しているような気分になった。

 

本書を読みながらプリファブ・スプラウトで一番好きな曲「Hey Manhattan!」を聴いている時、僕は小沢健二の「流動体について」を思い出した。華麗なストリングのアレンジと都市をめぐる歌詞。これも深読みだろうが、小沢健二は「流動体について」を作詞・作曲する時にこの曲を思い出したのではないだろうか。

 

https://youtu.be/VDDJPbWq22E

 

本書でも、小沢健二の「ある光」の「神様はいると思った/僕のアーバン・ブルースへの貢献」は、プリファブ・スプラウトの「Cruel」にインスピレーションを得て生まれたとも紹介されている。「Cruel」のフレーズはこうだ。「たとえシカゴのアーバン・ブルースでも、きみを失ったことを嘆き悲しんでいる僕の気持ちほど切実じゃない」。

 

(余談だが、フリッパーズ・ギターと関わりの深かったライター/DJの瀧見憲司氏が主宰したレーベル名はクルーエル・レコードである)

 

渡辺亨氏は本書の「はじめに」で、「優れた作品ほどさまざまな解釈を呼び起こす。曲や歌詞、サウンド、ジャケットなどすべてを読み解こうとする試みそのものが、音楽の楽しみ方のひとつだと僕は考えている」と記している。また「あとがき」で、「ポピュラー音楽は純粋に音楽だけで成り立っているわけではなく、それを取り巻く状況も、また意味を持っている」とも。

 

新書サイズの音楽本が最近多く出版され、140字のTwitterから写真一枚のInstagramへ世の中の表現の流行が移り変わる中、本書のような読み応えのある音楽本もまだまだ出版されてほしい。そして、それに見合うポップ・ミュージックが発表され続けてほしいー。毎日中古レコード・CDを査定しながら、僕なりのポップ・ミュージックへの貢献を考えるのであった。

 

 

プリファブ・スプラウトの音楽 永遠のポップ・ミュージックを求めて

プリファブ・スプラウトの音楽 永遠のポップ・ミュージックを求めて