あなたは音楽をどう愛す?~新・配信ビジネスの衝撃~

7月7日放送のNHKクローズアップ現代「あなたは音楽をどう愛す?~新・配信ビジネスの衝撃~」は、いち音楽好きとしてはとても考えさせらる内容だった。

番組で紹介された新・配信ビジネスとはスマートフォン用音楽の定額配信アプリのことで、Apple Music、LINE MUSIC、AWA Music (エイベックス・デジタルとサイバーエージェントの提携)が代表格だ。IT通の方が既にネットで盛んに話題にしてるし、どのサービスも今お試し期間で実際にダウンロードした人も多いと思うので、どんなサービスなのかはここでは詳しくは述べない。というか、僕はスマートフォンでは音楽を聴かず、今だにiPodを使っている時代遅れの男なのだ。

まず、僕が気になったのは、アーティストが提供する音楽の対価の低下だ。番組ではアーティストに支払われる著作料が、CDアルバム1枚3000円で110円(1曲8.48円)、ダウンロード1曲200円で16.6円だが、ストリーミングで1回再生だと0.16円になるという試算が紹介された(海外で普及しているSpotifyの公表データを元に京都精華大学講師 榎本幹朗さんが試算)。単純計算だとある曲を100回再生すればダウンロードと同じ価格になるが、テイラー・スウィフトは「これでは若いアーティストが音楽を生み出せなくなる」と危惧していると言い、ビョーク、マドンナ、レディオヘッドも同様の意見だという。彼らのようなビッグ・アーティストなら100回再生は容易だろうが、デビューしたばかりの新人アーティストではなかなか難しいということだ。

佐野元春も、テイラー・スウィフトの発言はわかると言い、「音楽がどういう状況に置かれているか、リスナーも考えるきっかけになる」と指摘する。この言葉を受けて番組が紹介したのが、最近の日本のヒットチャートの傾向。2014年はトップ10をAKB48、嵐、乃木坂46EXILE TRIBEが占めている。一方、CDの売り上げがピークに達した1998年は、GLAYSMAP、SPEED、BLACK BISCUITS、KiroroL’arc~en~CielKinki kidsEvery Little Thingと、様々なアーティストがチャートインしている。僕のような他人からマニアックだと言われる者からすれば、片寄っていると思うが(僕の1998年の心のベスト10第一位はシングルではないがピチカート・ファイヴの「テーブルにひとびんのワイン」)、それでも今に比べればましだ。最近テレビの民放各局で音楽スペシャル番組が放映されたが、どの局も似たような面子だと感じた。

長年新人発掘に取り組んできたユニバーサルミュージック シニア・プロデューサーの加茂啓太郎氏は、ある時期からアーティストの音楽よりも見た目のインパクトが重視されるようになったという。「動画を見てればよいっていうざっくりした感じ。一概に言えないが、例えばピアノ弾き語りの男性が見た目が地味だと、曲が良くてもどうすればいいのかなみたいな」。ベストヒットUSAやポッパーズMTVを熱心に見ていたMTV世代としては動画の役割の重要性はわからないでもないが、それでも今のダンスやキャラクターを重視したパフォーマンスグループの売り方には違和感を感じる。

ポッパーズMTVの司会もしていたピーター・バラカン氏は「音楽に多様性がなくなったのではなく、メディアから伝わってくるものに多様性がない。昔はラジオもテレビもいろんな音楽が流れていた」と指摘する。その一方で、CDの値段が高く、主な聴き手である若者が違法ダウンロードなどネットで無料で聴ける手段に飛び付いたと分析している。バラカン氏は「僕が若い頃は安いシングルがあった」と言っているが、自分の経験だとモノクロ・ジャケットでA面しか収録されていないシングル・レコードで500円で売り出されていたものがあった覚えがある(ヴァネッサ・パラディのデビュー・シングル「夢見るジョー」)。またラジオはもちろん、図書館に行けばCDを借りることもできるので、昔から無料で音楽を聴く手段はあったとも言う。若い頃は少ないお小遣いではレコードやCDを買えず、ラジオの放送や、友人・レンタル店などから借りたレコード・CDをカセットテープに録音して聴いたことは、ネット以前に誰もがした経験だと思う。

バラカン氏は定額配信サービスには肯定的で、ネット上の巨大な音楽ライブラリになると言い、CDをたくさん買ってきても置く場所に困ると指摘する(これは耳の痛い話)。ただ、「CD1枚持っていると、それにつまっている音楽に対する愛情は強くなる」と、物がないと価値が見出だせにくいことは認めている。

番組では後半、「音楽への“愛”をどう育む アーティストたちの挑戦」と題し、楽曲販売以外の方法の模索が紹介された。ある若手インディーズバンドはライブの際にチェキで撮影した写真を500円で販売し、一回で10万円の売り上げを得ている。ただ、これはアイドルの物販のアイディアを真似たもので、それなりの見た目の良さがないと難しい。一方、IT企業のピースオブケイクは、ネット上にアーティストとファンを結びつける試みをしており、くるりがデビュー前の楽曲を提供し1曲100円で販売している。また、アーティストを支援する方法として100円~500円または任意の値段を募金するという取り組みも行っている。

僕が注目したのは、音楽プロデューサーの牧村憲一氏のワンコイン(500円)コンサート。アーティストとファンの結びつきの機会を作る原点回帰の取り組みだが、心に残ったのが牧村氏の次の言葉だ。

無料で24時間垂れ流しで音楽が聴けますよというふうに、どちらかと言うとこの10年20年は走ってきたけども、そうじゃなくて、この時間は自分は音楽を聴きたいんだとか、一週間のこの日は音楽を聴くために取っておくんだというふうに、もっと意思ある音楽の聴き方というものも持ってもらいたい

バラカン氏も、リスナーは価値を認めればお金を払うと指摘する。アメリカでは、レコード会社との契約が成立しにくくなった中堅アーティストがクラウドファウンディングでアルバムを作る例もあり、ライブでも同じような取り組みは可能だとしている。一方で、これは苦言も込められているのだろうが、「35年間ラジオでDJをやっているが、自分が本当にいいと思った音楽を情熱を持って紹介すると、その情熱はリスナーに伝わる。メディアに携わる人がもっとたくさんいろんな音楽を聴いて、自分の感覚で本当にいいものを紹介すれば、捨てたものではない」と語っている。

あるIT通の方のブログを読んだが、新しい配信サービスのポイントはリスナー間の交流だと指摘していた。リスナーがプレイリストを公開し、それを聴くことで新しい音楽の出逢いがあると言うが、日本のSNSの普及の傾向から考えると、注目されるのは結局人気のアーティストとかモデルとか芸人とかのプレイリストで、それは「意思ある音楽の聴き方」なのだろうかと勘繰ってしまう。偏見なのかもしれないが、IT通の方の文章を読んでいても、コンピュータ好きなのはもちろんわかるが、音楽好きなのかどうかは伝わってこない。

結局のところ、音楽を作る人も、聴く人も、伝える人も、どれだけ愛があるかが重要なんだよなと妻に言うと、「雨トーーク!でケンコバがアダルトDVDを2000枚以上持っているけど、AV女優を支援する愛の気持ちだって力説してたよ。あなたの音楽に対する愛も同じね」と言われた。確かに音楽を聴くことで快楽を得ることはAV観賞と同じだが、AVは一人でこっそり楽しむもので音楽のように皆で楽しむことはできない、あ、ストリップがあるか、マグロ漁の漁師は漁船で皆でAV観賞を楽しむというのを本で読んだな、う~む…と相変わらず現実的な妻には勝てないのであった。


「おいしいダシ巻き玉子」というものはどうすれば作れるか知ってるかね? 『リアリティ』だよ!

ジョジョの奇妙な冒険 第四部』に岸辺露伴という漫画家が登場する。人気漫画家なのだが、へそ曲がりで変態的な性格の持ち主のキャラクターで、紳士のように穏やかな顔をしながら、まさに奇妙な漫画を書く作者・荒木飛呂彦先生のようである。

岸辺露伴の名言(迷言?)とされ、ネットでもネタとしてよく使われるのが、「だが、断る。」というセリフ(ちなみに妻はこのセリフが大好き。そもそもジョジョは妻に薦められた)。しかし、僕がこれぞ名言だと思うのは次のセリフだ。

ところで君たち、『おもしろいマンガ』というものはどうすれば書けるか知ってるかね? 『リアリティ』だよ! 『リアリティ』こそが作品に生命を吹き込むエネルギーであり、『リアリティ』こそがエンターテイメントなのさ。 『マンガ』とは想像や空想で書かれていると思われがちだが、実は違う! 自分の見た事や体験した事、感動した事を描いてこそおもしろくなるんだ!


そう言った後、岸辺露伴はクモを捕まえ、Gペンを刺し、クモを描くためにはどんな形をしているかだけでなく、どういうふうに内臓がつまっているか、腹をさかれて死ぬ前にどんなふうに苦しみもがくのかを知っていなければならないと力説する。さらには、「味もみておこう」と舐める。良いこと言ったかと思うと、台無しかと思えるような残酷かつ変態的な描写をするのが、荒木先生の真骨頂である。

前置きが長くなったが、松浦弥太郎氏がクックパッドの新メディア「くらしのきほん」を開設し、その思いを語ったインタビューを読み、この岸辺露伴のセリフでツッコミしたくなった。

●くらしのきほん

https://kurashi-no-kihon.com/

松浦弥太郎[前編]クックパッドの高い技術を持った人たちに肩を並べられるコンテンツをぶつけてみたいと思った

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150629-00043939-gendaibiz-bus_all

松浦弥太郎[後編]100年後も古びない「くらしのきほん」をアーカイブとして残していきたい

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150630-00043942-gendaibiz-bus_all


このインタビューによると「くらしのきほん」は暮らしを衣食住というジャンルで分けるのではなく、「あこがれる」「学ぶ」といった感情や行動で分けているのが特徴だという。例えば「ありがとう」というコーナーでは、「手紙を書くように」というタイトルでジャムの作り方を紹介しており、ジャムは瓶に詰めラベルを書いて人にあげることで、ありがとうの気持ちを伝えることができると説明している。暮らしをテーマにしているが、コンテンツの半分以上は料理に関するもので、その理由を「暮らしの中心には料理があって、暮らしを楽しくしようと思うと料理抜きには考えられない」としている。

ここまでは読んでてもっともらしいことを言っていると思ったのだが、驚いたのがこの言葉。

「僕も最近、毎日料理をしているんですよ。『暮らしの手帖』時代は横で見ているだけであまり実践していなかったんですが、今は毎日なにかしら料理をつくって、コンテンツを作っています」

つまり、クックパッドに来てから料理を始めたのである。こんなことを堂々と言う方に、「暮らしの基本としての料理」を教わりたいという気持ちになるだろうか。実際にダシ巻き玉子のページを読んだが、ソフトフォーカスの写真とですます調の文体できれいにまとめただけ。リアリティを全く感じられないのだ。

クックパッド・ユーザーの自分としては、ダシ巻き玉子の作り方を知りたいなら、つくれぽが多いレシピを探す。そもそもクックパッドはユーザー投稿のレシピ集であり、プロではなく、自分と同じ素人によるものだから、ここまで支持されているのだと思う。もちろん、今回の「くらしのきほん」は読み物で、クックパッドと差別化しているのはわかる。しかし、「100年後も古びない暮らしの基本を伝えたい」のに、クックパッド・ユーザーと変わらない、いやユーザーにはプロ級の方もいるので、それ以下の方が編集長というのは心許ない。せめて監修者を編集に入れるべきだ。

というわけで、僕は今日の夕飯をクックパッドを見ながら作ることにする。蒸し暑かったので、さっぱりと、豚こまと大葉と梅の肉団子、ナスとツナの生姜醤油和えにするつもりだ。もちろん、ご飯も炊くぞ。


ライナーノーツはどこへ? 或いは、僕らがCDを買う理由

柴田元幸責任編集の文芸誌『MONKEY』の特集「音楽の聴こえる話」が面白かった。お目当ては、小沢健二執筆の「赤い山から銀貨が出てくる」。ボリビアの銀山の歴史の話がヨーロッパのクラシック音楽楽器の考察に発展する巧みさに、言葉の魔術師健在!と感嘆したのだが、もう1つ言葉にこだわる雑誌ならではのアンケート企画だと思ったのが、「あなたの好きなアルバムの、ライナーノーツを書いてください。」だ。

タイトルだけを読むと文芸誌にありがちなアンケート企画のように思えるが、柴田編集長による企画意図の前書きを読んで、思わず「そうだよな」と頷きたくなった。

かつて、LPレコードを買うことは、命がけの跳躍と言ったらまあ言い過ぎだとしても、けっこう大きな冒険ではありました。買ったら、じっくり何度も聴いて、聴きながら、ライナーノーツを隅から隅まで読んだーというのはたぶん、僕を含む、人生すでに後半に入ったたいていの人間に、覚えのある体験ではないかと思います。音楽はダウンロードするもの、というのが標準になりつつある(のかどうかも、僕には実のところよくわからないのですが)今日、もちろんそれとは別の形で別の快楽が得られるようになっていることは間違いありません。が、ライナーノーツをじっくり読みながら音楽に聴き入ったときの、あの独特な感じを、いろんな世代の皆さんと共有できたら、それはそれで楽しいのではーそう思って、ご依頼申し上げる次第です。

僕は年齢的にはこの企画の対象の世代になる。レコード、CDを買ったらライナーノーツを読む。もちろん中にはこいつ何もわかってない!と音楽評論家の文章に腹が立つ時もある。輸入版や中古版だとライナーノーツはおろか、作詞・作曲や参加ミュージシャン、プロデューサーのクレジットすら記載されていないものだってある。そういう時はジャケットを見ながら、架空のライナーノーツを空想したりする。余談だが中古版だと自分のサインや購入した年月日を書いたり、曲目に◎や×、Good!やBad…などの採点をしたり、中にはアーティストの顔に髭を書いたり角を生やすなど小学生レベルの落書きをする外国人もいるので、元の所有者はどんな人だったのだろうと妄想するのも楽しい。つまり、儀式のようにライナーノーツを読むことが身に付いてしまっているのだ。

音楽ソフトがレコードやカセットからCDに、さらにはデータへと変化することで、レコードプレーヤー、CDプレーヤー、カセットデッキ、MDプレーヤーはもはや絶滅危惧種となった。今はスマートフォンに音楽をダウンロードし、聴くというのが主流だろう。僕もCDを買ってくるとパソコンに音楽データを取り込み、iPodに転送するというのがいつの間にか儀式になっている(レコードは面倒臭いのでやらない)。スマートフォンではなく、iPodというのが微妙に時代遅れなのだが。

それでも、家で音楽を聴いてる時は相変わらずライナーノーツやジャケットを見る。実は買った時はきちんと読むが、それ以降はただ眺めているというか、手にしているだけである。要するに手持ち無沙汰で、あると安心する、スヌーピーライナスの毛布みたいなものなのだ。

スマートフォンでも最近は歌詞が表示されるアプリはあるし、聴いてる音楽に対する評論やクレジットを知りたいのならネットにつなげば、かつての紙のライナーノーツ以上の情報を得ることもできる。それでも紙のライナーノーツにこだわる言い訳はあるだろうかと考えていたところ、松本隆の作詞活動45周年トリビュート『風街であひませう』の限定版を購入し、その答えがあるのではと思った。

音楽CD、歌詞の朗読CD、さらには歌詞はもちろん、解説、対談、短編小説まで収録された120ページ以上のハードカバーの書籍のようなつくり。音楽と朗読を耳で聴き、歌詞を目で追いながら口を開かず音読し、ページをめくりながらマット紙の手触りを感じ、さらにはインクの匂いまで嗅ごうとする。まさに五感で楽しむものだった。

スマートフォンなら、目、耳、口は使うが、触覚についてはタッチパネルを指で操作するだけで、どの音楽でも同じ動作になり、味気がない。嗅覚はもちろん無理だ。僕は中古レコードあの独特の匂いが好きで、音楽の歴史を感じる(単なるカビ臭だが)。よし、完璧な理論だ!と妻に力説しようとしたが、「屁理屈は止めて現実を見て。もう棚に入らなくなりそうじゃない。年末の大掃除より早く整理が必要になりそうね」とあっさり論破された。妻が見ていたテレビ「月曜から夜更かし」には、他人から見ればガラクタとしか思えないモノを捨てられず悩むおっさんが写っていた。

MONKEY Vol.6 ◆ 音楽の聞こえる話

MONKEY Vol.6 ◆ 音楽の聞こえる話




うれしい悲鳴をあげたことってありますか?

チマチマと読んでいた、いしわたり淳治の『うれしい悲鳴をあげてくれ』を読み終える。買ったのは確か去年の秋ですぐ読み始めたはずだ。これだけ時間がかかったのは内容が難解だからとか、つまらないけど買ったのだから意地で最後まで読んだというわけではない。それどころか、読んでて「ワハハ!」と笑うのを耐えきれなくなったり、「マジかよ…」と背筋が凍りつくような恐怖を味わったり、思わず「そうきたか!」と言いたくなるオチが待っている。そして、物事の真理を突かれて「う~ん」と唸ってしまいたくなるような気分を味わえる。

例えば、本のタイトルにもなっている「うれしい悲鳴をあげてくれ」。二人のボーイフレンドに同時にプロポーズされた女は「ああ、どうしよう!」とまさにうれしい悲鳴をあげつつ、どちらの男にも決められず悩む。女は気を間際らそうと、空腹を満たしにコンビニに行くが食品がほとんど売っていない。女はイライラするがファッション雑誌の最新号を見つけると嬉々とし、雑誌を買って家に帰る。そして雑誌を読み終えると、一人の男に「結婚しましょう」と電話をかける。そして続け様にもう一人の男にも「結婚しない?」と電話をかけ、さらにはあろうことか、別の男友達にも次々と電話をかけまくり、20人もの男と結婚の約束を交わす。女は至って正気である。さて、あなたならこの話にどんなオチをつけますか?

いしわたり敦治はロックバンドのスーパーカーのギタリストで、バンド解散後は今時珍しい職業作詞家として活動している。この本はロッキング・オン・ジャパンに連載されていたものを単行本にした彼の処女作である。過去日記で紹介した『音楽とことば~あの人は歌詞をどうやって書いているのか~』のインタビューによると、「エッセイと短編小説が半々で、全部で52本の話があって、それぞれを3分から5分で読めるようにしてある」らしく、「あの本はなんなのかっていうと、CDにおける、ボックス・セット。各章ごとにシングル・チューンを散りばめた」のだそうだ。ちなみに文庫化にあたって収録された未発表作品は「ボーナス・トラック」と名付けられている。つまり、どこから読んでも面白いし、気分転換にチマチマと読むのに向いているのだ。

ところで、読み終えた後、ふと、「うれしい悲鳴をあげたことってあったっけ?」と考えた。妻に「うれしい悲鳴をあげたことってある?」って訊くと、「今日の夕飯はアボカドとトマトのハニーマスタードです、って、LINEにあなたからメッセージ入った時。あれ大好物だからテンションあがるんだー!」と答えが返ってきた。そういえば、結婚するまで僕はアボカドを食べたことがなかった。今では僕も好物だ。

お互いが知らなかったものが混じり合い、新しいものが生まれるのが、結婚生活だと言ってたのは誰だったけかなと思いながらも、いやこれじゃきれいにまとめすぎだ、いしわたり淳治ならどんなオチをつけるかなと考え、僕はスーパーカーの「STROBOLIGHTS」を聴きながら、夕飯の準備を始めた。

♪2愛+4愛+2愛+4愛-SUNSET+4愛+2愛+4愛+2愛……=TRUE HEART(真実)!


うれしい悲鳴をあげてくれ (ちくま文庫)

うれしい悲鳴をあげてくれ (ちくま文庫)


『絶歌』に対する太田出版の中の人、著作物のある作家のつぶやき、または『絶歌』に反対する唯一の手段は。

太田出版から出版された『絶歌』をめぐって、様々な意見が飛び交ってる。著者である元少年A(すでに中年の男性が自分をこう呼ぶことには違和感があるし、犯罪を犯し少年Aと呼ばれた子は数多くいると思うのだが)はもちろんのこと、版元である太田出版に対する批判も多い。

僕はかつて友人の編集者が働いていたこと、自分が原稿を執筆したこともあり、太田出版の動向が気になっていた。

発刊のニュースを知り、Twitterを検索して目にとまったのが、このつぶやき。

太田出版から発行されているクイック・ジャパンの北尾修一編集長のつぶやきである。最初は「何を他人事のように言ってるのか」と思ったが、『絶歌』発刊がスクープ的に突然発表されたことを考えると、本当に知らなかったように思える。社員数20数名の中小出版社だが、おそらく『絶歌』の編集は岡聡社長と担当編集者だけで秘密裏に進められたのだろう。

担当編集者は同社取締役の落合美砂氏。同社発刊でミリオンセラーになった『完全自殺マニュアル』の編集を担当している。同社の出版物にもたびたび登場している東浩紀氏は以下のつぶやきをしている。

太田出版から著書がある手塚るみ子氏も複雑な気持ちをつぶやいている。

太田出版は近年漫画が人気であり、作家の松田洋子氏はその良さを忘れないでほしいと訴えている。


僕自身、複雑な気持ちである。冒頭に書いた通り、友人が働いていたし、原稿も書いたことがあるし(原稿料の支払いが遅いことに腹を立てたが)、好きな漫画家のオノ・ナツメ氏は同社刊の『リストランテ・パラディーゾ』で知ったし、福田里香氏著『ゴロツキはいつも食卓を襲う フード理論とステレオタイプフード50』は愛読書だ(誤植が多いが)。

『絶歌』出版の6月11日から約1週間がたった6月17日の今日、太田出版が同書の出版を継続する声明を発表した。

http://www.ohtabooks.com/press/2015/06/17104800.html

太田出版に対する批判はしばらく続くだろう。社長と担当編集者は発刊前からそれなりの覚悟はしていただろうが(それでもここまでは考えてなかっただろう)、関わってない他の出版物の編集者たちは当分の間社会の厳しい意見に晒され、やりにくいこともあるだろう。著作物のある作家たちは複雑な気持ちを抱き、今後同社から著作物を出すことをためらうかもしれない。クイック・ジャパンや漫画の読者も何となく後ろめたい気持ちになり、買わなくなるかもしれない。企業は利益を追及するものではあるが、いくら物議を醸し出す本を定期的に刊行し、生き残ってきたとは言え、ここまでのリスクを犯してまで出版する覚悟が太田出版にあったのか、疑問に思う。ひょっとしたら、時の流れの早いこの情報化社会では1年後には忘れ去られ、ブックオフに山積みになることを見越した強かさなのかもしれない。

これだけ書いおいて逃げと思われるだろうが、僕は『絶歌』を読む気はない。教育関係者、児童心理学者、少年犯罪研究者など専門家が読む本だと思う。社会心理学者/カウンセラーの碓井真史氏が「願わくば、単なる興味本意ではなく、単なる参考書でもなく、彼を攻撃するためだけでもなく、同情するためだけでもなく、意味ある読み方ができる人々に、本書を必要とする人々に、この本が届きますように」と指摘しているように。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/usuimafumi/20150617-00046725/

僕は、『絶歌』に1620円を払うのなら、その代わりに自分の好きな本を買いたい。もう少しお金を足してCDを買うのもいい。近所のカフェの大好きなベーコンチーズバーガーを食べられるし、ポテトも大盛りにできる。映画を観たり、美術館や博物館に行くのもいい。何よりこんなことに気をとらわれてないで、妻と他愛のないことでも話して笑っていたい。自分の心を自分の好きなもので豊かにする。それが僕が考える、『絶歌』に反対する唯一の手段は。


※アマゾンのリンクは『絶歌』とも太田出版とも何ら関係ない。


戦争に反対する唯一の手段は。 - ピチカート・ファイヴのうたとことば - -music and words of pizzicato five-

戦争に反対する唯一の手段は。 - ピチカート・ファイヴのうたとことば - -music and words of pizzicato five-

DKの甥っ子と音楽談義

先日親族の集まりで高校1年生の甥っ子と会った。兄貴が僕のことを音楽バカ呼ばわりするせいか、甥っ子は最近好きな音楽の話を僕にしたがる。以下、リアルDK(=男子高校生)との音楽談義。

僕:最近どんな音楽聴いてるの?

甥:SEKAI NO OWARI、MAN WITH A  MISSION、ゲスの極み乙女かな。

僕:どれも変わったバンド名だな。最近はそういうのが流行りなのかね。じゃあ、まずセカオワはどういうところが好きなの?

甥:バントが成功するまでの話がすごいんだよ。ヴォーカルのFukaseってパニック障害になったことがあってさ。克服した後、Fukaseは音楽の才能があるんだからって、今のメンバーたちと一緒にライブハウス作ることからスタートして、今じゃアリーナクラスでライブをやるようになったんだよ。すごくない?

僕:へー。じゃあ、聴いててどの辺がいいって思うの?

甥:歌詞がいいんだよ。「Dragon Night」知ってる?

僕:ドラゲナイ!ってやつだろ。

甥:ちゃんと聴いてないでしょ。「人はそれぞれ正義があって争うのは仕方ないのかもしれない。だけど僕の正義が彼をきっと傷つけていたんだね」ってフレーズがあるんだよ。よくない?

僕:ふーん。じゃあ、音そのものはどの辺がいいの? メンバーにピエロのDJいるけど、音はそんなに凝ってなくて、聴きやすいポップスだと思うけど。

甥:バント名も見た目も変わってるのに、キャッチーで聴きやすいのがセカオワのすごさだよ。ライブはみんな大合唱になってすごい盛り上がるんだ。懲りすぎちゃうと、そうはならないじゃん。

僕:そういうものなのかなぁ。じゃあ、狼バントは?

甥:マンウィズって言ってよ。音も歌詞もアツい!聴いててチョーアガるよ!

僕:テレビでライブやってるの見たけど、サビで客と一緒に振り付けみたいに手降ってたり、コミカルなところもあるね。

甥:「Flying High」だね。ライブですごい盛り上がる!マンウィズ、トークも面白いんだよ。

僕:バンドマンもトークが出来ないとダメなのか。嫁が「雨トーーク!」で面白いこと言えない一発ネタの芸人には興味ないって言ってたな。

甥:芸人と一緒にしないでよ。

僕:ゲスの極み乙女はバント名はハマカーンの「ゲスの極みー!」と関係あるの?。

甥:だから芸人は関係ないよ。それにハマカーンはもう古いよ。今は「あったかいんだから~」。ゲス乙女はラップもあって、ちょっと変わった感じなんだけど、聴いてて楽しい。ゲス乙女もメンバーみんな面白いよ!

僕:ベースがサラリーマンみたいな格好してチョッパーで弾いてるね。話聴いてると歌詞とキャラが受けるポイントのような気がするな。じゃあさ、洋楽は聴かないの? 最近狼バントがZebraheadと共演してるけど、あれ聴いて洋楽に興味持ったりしないの?

甥:洋楽あんまりよくわかんない。友達がTaylor Swiftチョー可愛い!って聴いているけど。あと、LADY GAGAはダンスがすごいとか。ああいうのは興味ない。テレビの歌番組見てても出てくるのは、そういうので、ロックバンドは出ないよ。

僕:昔OASISミュージックステーションに出たけど、アイドルが手拍子してて、すごい違和感あって笑えたな。テレビに出なくてもYouTubeあるじゃん?

甥:今どんなロックバントが流行ってるか知らないから、検索できない。おじさん教えてよ。

僕:ロックは最近のはあんまり知らないな…。MUSEはどうだ? 今年のフジロックのヘッドライナーだぞ(スマホでPVを見せる)。

甥:MUSEって鉄拳がパラパラ漫画やったバンドでしょ。うーん、もうちょっとキャッチーなのがいい。洋楽は聴いてても歌詞が耳に入ってこないよ。

僕:やっぱり歌詞なのか。メロディーが良ければいいっていうのはだめ?

甥:歌詞わからないと、カラオケで歌えないじゃん。

僕:そこなの?!

甥:カラオケは絶対じゃないけど、ライブで一緒に合唱したいじゃん。

僕:歌詞がよくわかんなくても、カタコトで歌ってたけどな。♪ヨーソアーファッキンスペシャル~、お前はクソ最高だ~

甥:何それ?

僕:RADIOHEADのCreep。その後、♪バッタアイムクリープ、アイムウィアード、俺は蛆虫だ~、俺はどうしようもない奴なんだ~って続く。

甥:ひょっとしておじさん、その曲でプロポーズしたとか?

僕:そ、そんな恥ずかしいことしないぞ。うちの嫁さんはテクノ好きで歌詞なんて煩わしいって思ってるからな。

甥:じゃあ、結婚式は何の曲かけたの?

僕:What A Wonderful Worldだよ。知ってる?

甥:セカイハスバラシイ。略してセカスバ。

僕:いまいちのオチだったな。


※一部脚色してますが、これがいちリアルDKの音楽観です。


メロウな音の桃源郷に行く方法は聴くしかない

柔らかな叙情と透明感あふれる優美なメロディー、瑞々しいオーシャン感覚とアトモスフェリックな麗しいサウンドスケープ。ジャジー&オーガニックなビートダウン・ハウスから、メロウ・ドリーミンなチルアウト・バレアリカ、ダビー&フローティンなメランコリック・アンビエントまで、波の音や鳥のさえずりもピースフルな心地よいヴァイブに満ちた極上の音の流れに身を委ねる82分17秒。


サバービアの橋本徹氏選曲の新しいコンピレーション「Good Mellows for Seaside Weekend 」の紹介文である。相変わらず何のこっちゃのカタカナ形容詞だらけだが、以前のブログにも書いたが、サバービアのコンピレーションCDは百聞は一聴にしかず、聴かないとわからない。で、聴いてみると、まぁ確かにそんな感じと思えてくる。


今回収録されている曲は大まかにいうとチルアウト/ハウスと呼ばれるジャンル。踊るというより、聴いてて心地よいゆったりとしたもの。海外だとジョー・クラウゼル、ホセ・パディーヤなどが代表的なアーティストである。厄介なのが、この辺の音は12インチ・レコードでしかリリースされないものが多く、しかもプレス数があまり多くないので、買い逃すと入手困難になる。昔のようにレコード屋に通わなくなったし、そもそもこの辺のレコードを売っていた渋谷のDMRもCISCOもない。なので、こういうコンピレーションは重宝する。


この「Good Mellows for Seaside Weekend」はミックスされておらず、一曲が完全収録されている。やはり橋本徹氏は曲そのものが好きな選曲家なのだと思う。クラブでDJプレイしているのを見たことがあるが、使えるメロディー、ビートをつなぎ、ミックスするのではなく、一曲一曲最初から最後までかけていた。フロアをアゲるのなら途切れなくミックスすることが必要になるが、今回のようなチルなコンピレーションの場合はゆったり聴かせる方がいいので、橋本徹氏のような選曲スタイルが合っていると思う。


ちなみにこのCD、橋本徹氏が関わるカフェ・アプレミディアプレミディ・セレソン / V.A.『Good Mellows For Seaside Weekend』で買うと、今なら氏選曲のCD-Rが3枚も付いてくるのでおすすめ。くどいようだが、僕は関係者ではない。


Good Mellows For Seaside Weekend

Good Mellows For Seaside Weekend