生活に溶け込む静謐と躍動の音~中島ノブユキ/散りゆく花

 

中島ノブユキさんのニューアルバム「散りゆく花」が素晴らしい。

 

ジャンル的には室内楽(コンサートホール,教会堂などの大会場ではなく,室内で演奏される音楽の意。 主に古典派音楽以降についての呼称で,一般には1奏者が1パートを受けもつ器楽合奏曲をいう)になるのだが、クラシックは疎い僕には、架空の映画のサウンドトラックのように聴こえるし、アンビエントのような浮遊感も感じる。また、編成は中島ノブユキさんのピアノをメインに、ギター、バンドネオンオーボエ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスで、打楽器がないのだが、不思議とリズムがある。静謐と躍動という相反するものが共存した、稀有な音なのだ。しかも、全13曲で45分とコンパクトにまとまっており、決して難解な内容ではなく、むしろポップでキャッチー。ますま稀である。

 

ジャズ好きとしては、「スパルタカス 愛のテーマ」、パット・メセニーの「ラスト・トレイン・ホーム」(現在、アニメ・ジョジョの奇妙な冒険のエンディング・テーマに使われている)に注目したい。どちらも、中島ノブユキさん独自の解釈の美しい音に仕上がっている。特に「スパルタカス」はこれまでにさまざまなアーティストのカバーが存在しているが(僕はユセフ・ラティーフが一番のお気に入り)が、中島ノブユキさんのカバーは、シンプルなメロディのリフレインでありながら、はかなさを感じさせる原曲の魅力を損なうことなく、かつ新鮮なアレンジになっている。

 

冒頭に掲載したご本人のツイッターで紹介されているPVもいい。日常を切り取った映像に中島ノブユキさんの音楽がまさにサウンドトラックのように流れる。まさに生活の「静」と「動」に溶け込む音だと思う。

 

最後に余談だが、このアルバムは中島ノブユキさんご本人初の顔出しジャケットである。インタビューを読むと、「映画『散りゆく花』の主人公リリアン・ギッシュがアルバムのイメージにとても近いのではないかと思ったが、彼女の写真はあまりにも哀しい表情のものばかりだったので採用は見送り、最初で最後の機会だと思い自分の顔写真をジャケットにした」とのことだが、僕はご自身設立のSOTTOからの初アルバムであり、内容に自信ありの作品だからこそのあえての顔出しと邪推した。まったく音楽性は違うが、フィル・コリンズが「ノー・ジャケット・リクワイアド」(ジャケット必要なし)というタイトルでジャケットを自分の顔のアップにし、音を聴いてほしいとメッセージを込めたように。

 

散りゆく花

散りゆく花

 

 

 

ビートルズを知らない若者とビートルズのカバーが好きな僕の話


OFF THE BEATLE TRACK - George Martin and His ...

 

音楽専門学校生のビートルズの認知率が1割で、人気なのはニコニコ放送の「生主」やアニソンの歌手だったというニュースがネットで話題になったが、こういうニュースはたいてい「大人」と「若者」の罵り合いになり、「分かり合えないことだけを分かり合えるのさ」(全ての言葉はさよなら/フリッパーズ・ギター)という結果になりがちである。

 

僕は年齢的には「大人」の世代なので、もちろんビートルズは知っている(ちなみに甥っ子の影響で「生主」もアニソン歌手も少しは聴いたことがある)。初めてビートルズを知ったのは、YMOが「デイトリッパー」(「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」収録)をカバーしていたのがきっかけ。というか当時、僕はカバーだと知らず聴いていたのだが、母が「これ、ビートルズデイトリッパーのカバーよ」と教えてくれたからである。母にビートルズ聴かせてと頼むと、いわゆる「赤盤」(ベスト盤「ビートルズ1962年~1966年」の通称)を出してきてくれた。見事にはまり、毎日「赤盤」と「青盤」(ベスト盤「ビートルズ1967年~70年」の通称)ばかり聴いていた。結果、このベスト盤の曲順が刷り込まれてしまい、後にオリジナルアルバムを聴くと、「この曲の次はベスト盤のあの曲のほうがしっくりくる」という変な聴き方をするようになってしまった。

 

こういう出会い方をしたせいか、ビートルズはオリジナルはもちろん好きだが、カバーは大好物で、特に異ジャンルのものに魅かれる。以前の日記でも紹介したケニー・ランキンは「ペニー・レイン」(アルバム「Silver Morning」収録)をカバーしているが、ボサノヴァのリズムに乗せてスキャットを口ずさみ、サビだけ歌詞を歌うという軽快なアレンジで、晴れた日にはぴったり。ボサノヴァつながりでブラジルのアーテストだとカエターノ・ヴェローゾがアルバム「Qualquer Coisa」で「エリーナ・リグビー」「フォー・ノー・ワン」「レディ・マドンナ」をカバーしていて、どの曲もしっとりとしていて美しい。ジャズだと、ゲイリー・マクファーランドのアルバム「Soft Samba」は「シー・ラヴズ・ユー」「ハード・デイズ・ナイト」「アンド・アイ・ラヴ・ハー」「抱きしめたい」をカバー、アルバムタイトル通り、ソフトなアレンジに乗せた彼のヴィヴラフォンとスキャットを楽しめる。DJユースな打ってる感じなら、ソウル・シンガーのアーサー・コンリーが「オブラディ・オブラダ」をスカのアレンジでカバーしていて、かっこいい。

 

なかでも、一番愛聴しているのは、冒頭のYoutubeに掲載した、5人目のビートルズとも言われるプロデューサーのジョージ・マーティンによる「Off The Beatle Track」(再発熱望)。クラシックを学んでいただけあって、素晴らしいオーケストラ・アレンジで、なおかつポップに仕上がっていて、よくあるイージーリスニング・カバーとは当然出来が違う。「キャント・バイ・ミー・ラブ」のピアノ、ホーン、ストリングスが交互に奏でられるアレンジなんて、まるで刑事映画のサウンドトラックに使われそうなスリリングなアレンジ。しかもジャケットがかっこいい。

 

冒頭の話に戻ると、ビートルズは結成からもう半世紀も経つなのだから、今の若者が知らないのも当然のことのような気はする。テレビで嵐の松潤ビートルズが好きで、水卜アナとイントロ当てクイズをやっていたのを見たことがあるが(結果は水卜アナの勝利)、二人とも親がビートルズを聴いていて好きになったといっていた記憶がある。僕がビートルズを聴くようになったのも母のおかげで、僕が音楽バカになるきっかけをあたえたようなものである。なので、母さん、実家に置いてあるレコードは息子の宝物なので、勝手に捨てないで(願)。

 

あの人はどうやって歌詞を書いているのか

音楽における「歌詞」、特に自分にとって母国語である日本語の音楽の歌詞とは何か。「歌詞」という名の通り、歌のために書かれた「詞」なのだから、いわゆる「詩」とは違うので、読むものではなくて、聴くものだとは思う。さらに歌詞は歌手の歌い方によって、聴こえ方も変わってくる。

 

「メロディはいいけど、歌詞が好きになれない」と歌詞が煩わしく感じるときもある。妻は、「最近の日本人の歌は恥ずかしくて聴いてられない」と言う。確かによく言われることだが、「会いたくて」とか「ずっと一緒だよ」とか「自分らしく」とか似通った歌詞が多い。古い話になるが、僕は「いとしのエリー」が恥ずかしくて聴けないのだが、レイ・チャールズの英語カバーは好きである。

 

といっても、歌詞カードを熱心に読むときもある。はっぴいえんどの「風街ろまん」は歌詞カードを見ながらじっくり聴きたい(松本隆のあのくせのある手書き文字がいい)。最近だと、サカナクションの「MUSIC」は音は打ち込みなのに、歌詞は文学的で印象に残った。 


自分の精神状態によっても歌詞の好みは変わってくる。妻と喧嘩すると、くるりの「男の子と女の子」を聴いて「女の子ってやっぱよくわからない生き物だよな」なんて思ったり、竹内まりやの「家に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)」を聴いて「それでも僕のことをいちばんよくわかってくれてる」と仲直りしようと思い、矢野顕子の「ひとつだけ」の「悲しい気分の時も 私のことすぐに呼び出して欲しいの ねぇお願い」を一緒に聴いて一件落着だなんて考えたりする。ちなみに、妻はプロディジーを爆音で聴いて怒りを発散させるそうだ。

 

聴き手がこんな感じなのだから、書き手はほんとうに大変だろう。「音楽とことば~あの人はどうやって歌詞を書いているのか~」は非常に興味深い本だった。曽我部恵一安藤裕子小西康陽いしわたり淳治小山田圭吾コーネリアス)、坂本慎太郎ゆらゆら帝国)、西井鏡悟(STAN)、木村カエラ向井秀徳ZAZEN BOYS)、志村正彦フジファブリック)、レオ今井、中納良恵エゴラッピン)、原田郁子クラムボン)の歌詞にまつわるロング・インタビュー集である。

 

当然のことながら、歌詞の書き方に正解があるわけではない。「他者多様」であり、人と違うからこそ、それぞれ輝きのある個性を持った歌詞の書き手なのだと思う。その中でも、音楽そのものが好きなこともあるが、小西康陽の言葉は心に残った。

 

「普通に恋愛とかしてればさ、どんなくだらない歌詞でも、『これオレのこと歌ってる?』って気持ちになることがあるじゃない? 歌が自分のサウンドトラックのように聴こえて、いいなって記憶が残る。息の長いソングライターというのは、そういういろんな人の思い入れを引き受けるチャンスが多かった人なんじゃないかな」

 

最近、木下ときわ、畠山美由紀のライブを続けて見たのだが、二人とも昭和の歌謡曲をカバーしていて、やけに歌詞が心にしみた。自分が昭和生まれで、年をとったせいもあるかもしれないが、この時代の職業作詞家の言葉は練りに練られている。「愛」という感情を表現するときに、今のJポップのようにそのまま「君が好きだよ」とストレートに歌詞にするのではなく、「愛」という言葉を俯瞰的にとらえ、違う言葉で表現を重ねることでその曲に「愛」という感情を満たす深さがあると言えばいいのだろうか。そういえば、浅田真央テレサ・テンの「時の流れに身をまかせ」に励まされたというニュースもあった。自分のスケート愛の葛藤をあの歌に託したのだろう(ちょっとできすぎた感はあるが)。

 

と、書きつつ、いしわたり淳治もこの本で挙げていたのだが、僕が一番印象に残っている日本語の歌詞は、岡村靖幸の「僕はステップアップするため倫社と現国学びたい」(ステップアップ↑)だったりする。この歌詞をサビで歌い、異常なほど切実に「学びたい~」と歌い上げる岡村靖幸は本当に「どぉなっちゃんてんだよ」。

 

音楽とことば あの人はどうやって歌詞を書いているのか (SPACE SHOWER BOOks)

音楽とことば あの人はどうやって歌詞を書いているのか (SPACE SHOWER BOOks)

  • 作者: 江森丈晃,青木優,小野田雄,瀧見憲司,恒遠聖文,永堀アツオ,浜田淳,望月哲
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  • 発売日: 2013/06/24
  • メディア: 単行本
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とんかつを揚げろ!フロアをアゲろ!

とんかつDJアゲ太郎がおもしろい。少年ジャンプ+で連載中で、渋谷のとんかつ屋の三代目息子がヒップホップDJを目指すという異色のギャグ漫画である。

キャベツの千切りを刻むリズムとヒップホップのBPMが一緒だとか、とんかつの揚げ具合を油のプチプチ音で判断するのとDJがヘッドホンで次の曲の頭出しを確認しているのは同じだとか、とんかつを揚げる前に固い肉を叩いてほぐすのとフロアのカタい客をゆるめの曲でほぐすのは揚げる=アゲル前に必要だとか、とんかつとDJをこじつける強引さがたまらない。コミックには、女性DJとしてキャリアのあるDJ Yummyのクラブカルチャー入門も掲載されており、DJやクラブをあまりよく知らない人には役立つと思う。

 

テーマ的には大人向けのギャグ漫画だが、少年漫画の王道はしっかりおさえている。とんかつ屋の父と伝説のヒップホップDJという二人の師匠、人気のテクノ・ハウスDJでIT企業の社長でもあるイケメンのライバル、スタイリスト見習いの可愛いヒロイン、EDMを回す韓国人DJ、読者モデル女子DJユニット、ワルなヒップホップDJなどの同志、地元商店街の幼馴染などのキャラクターたちとともに、時には挫折し、成長していく主人公の姿は、少年漫画特有の“熱”で満ちている。

 

何より、DJをやっていた身としては、「そうだよな」と同意したくなるエピソードも多い。僕が印象に残ったのは、とんかつ屋がソースを丁寧に作ることで熟成されたオリジナルの味ができるように、DJもレコードをいっぱい聴くなかで自分の個性を磨いていくというエピソード。僕はネオアコマンチェスターなどのUKインディーズから始め、アシッド・ジャズに鞍替えし、フリーソウルにはまるという典型的な渋谷系DJ(?)だったのだが、まがりなりにも自分の個性を出せるようになったのは、ブラジルものを発掘してからだった。当時はブラジルものだとAirto MoreiraのTombo 7/4やAlive!のSkindo Le Leなどのサンバが人気だったが、ソウルとミックスするにはBPMが違いすぎる。僕が目を付けたのがJorge BenやWilson Simonalなどのソウル/ファンキーなブラジルのアーティストで、これを発見したことで初めて自分のDJスタイルが確立できたような気分を味わえた。

 

こんな話をしつつ妻に「面白いよ、この漫画」と渡したら、「どうせ、とんかつが好きだから、この漫画気に入ったんでしょ」とあっさり言われた。僕はとんかつが大好物で、妻に「バレンタインデーのディナーは好きなものおごってあげる」と言われた時に、「上ロースかつがいい」と本気で答え、呆れられたことがある。

 

 

とんかつDJアゲ太郎 1 (ジャンプコミックス)

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とんかつDJアゲ太郎 2 (ジャンプコミックス)

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人は33歳以降、新しい音楽を聴かなくなる?

 

興味深い研究結果だと思う。確かに振り返ってみると、2000年代に入り30代になってからだんだんと熱心に新しい音楽を探そうとしなくなってきた。

 

自分の音楽嗜好を、時代的に新しい音楽ということでおおざっぱに分けると、

・小学生の時にYMOを聴き、音楽に目覚める

・中学生になってからイギリスのニューロマンティック・ブームにはまる

・高校生になってから日本のバンド・ブームにはまる

・大学生になってから、UKインディーズ・ロックにはまり、グランジが流行るあたりから、アシッド・ジャズに乗り換える

になる。

 

社会人になってからは、過去日記「渋谷系と言った覚えはないんだけど」にも書いたが、過去の音楽を含めて聴いたことのない未知の音楽=新しい音楽ととらえるようになり、定期的にクラブでDJをやるようになっていたため、とにかくいっぱい聴いた。毎月レコード・CD合わせて20枚以上買い、その結果2000枚以上になった。結婚した時に妻に「新居をレコード・CD倉庫にするつもり?」ときつく言われ、大分手放したが、それでも1000枚以上はある。そのほとんどは実家の自分が住んでいた部屋に置いてきたが、今度は実家に帰るたびに母に「家をレコード・CD倉庫にしないで」と嫌味を言われている。

 

冒頭の研究結果に話を戻すと、33歳というのは音楽に限らず、いろんな嗜好が固まり、新しいものとの出会いをだんだんと追い求めなくなると思う。本は村上春樹、漫画は松本大洋、映画はニューシネマパラダイス、アニメは宮崎駿、テレビはタモリ倶楽部、服はボーダー、帽子はハンチング、靴はCAMPER、食事は白いご飯とみそ汁と漬物(これは子供の頃からか)。

 

そもそも人生の半分以上は生きてきたのだから、もうメモリーオーバーなのかもしれない。最近、アーティスト名や曲名が出てこなくて、妻に「お歳ねえ」なんて嫌みを言われる。僕は「ブラジルとかフランスとか非英語圏の音楽も聴くようになって、綴りが読めないものが出てきたから、名前を覚えることは放棄したんだ。その代わりジャケットは覚えてるよ」と負け惜しみの言い訳をしている。

 

と言っても、結婚後も月に2~3枚はCDを買い、テレビ台の引き出しにこっそり忍ばせているのだが、そろそろ入りきりなくなり、悩んでいる。

 

スーパーをめぐる冒険

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最近、近所のスーパーPの野菜の値段の高さに驚く。もともと輸入食品を扱うスーパーだったのだが、某大手流通に買収されてからは多少庶民感覚に近い価格設定をしていた。それが、ここのところ暴挙と言ってもいいほどの高騰ぶり。例えばブロコッリーが360円もする。先月までは250円で売っていたのに(それでも高いと思っていた)。きゅうりなんか1本80円もする。家から歩いて1分だし、妻が輸入食品好きなので、ひいきにしていたが、さすがにここまで高いと考えものである。

 

なので、最近は他のスーパーも併用している。スーパーMは野菜・果物・魚・肉すべて安いが、チラシを発行せず、曜日によって値引き品が異なり、さらに不意打ちのようにタイムセールをやるという神出鬼没な店で、嗅覚の鋭い猛者主婦が虎視眈々と獲物を狙って群がってくるので、僕のような新参者は余りものにありつくのがやっと。それでも、玉ねぎ3個で80円、鳥むね500gで380円など、魅惑的なものがあるので、猛者主婦に負けるものかと、つい足を運んでしまう。ただ、この店は調味料が乏しく、みりんなど基本的なものがなかったりする。うちは夫婦そろって調味料好きなのでスーパーPで買っている。

 

一方、スーパーIは良心的な価格設定なものの、家から歩いて15分以上と遠い。お買い得だとつい買いこんでしまうと、帰りがきつい。なので、週末に妻と二人で買い出しに行くようにしているのだが、見透かされているかのように週末はさほど安くなく、買いたいものが見つからず、結局スーパーPに行くことになる。

 

というわけで、結局3店それぞれ長所も短所もある。そのほうが切磋琢磨してくれていいのだが、それにしてもスーパーPにはもう少しがんばってほしい。スーパーPは唯一チャージ式の電子マネーカードを導入しており、ポイントがたまるのが、僕の楽しみだからだ。僕はポイントに弱く、渋谷HMVに通っていたころは毎月第四土曜日がトリプル・ポイント・デーなので、欲しいCDがあってもその日まで我慢し、まとめ買いしていたくらいである。

 

結婚前に妻にこのことを話したら「あなた、いい主夫になるわよ」と言われた。この言葉は予言だったのか、最近すっかり主夫している。今日の夕飯はスーパーMの戦利品の玉ねぎ・人参・里芋・豚挽き肉で、スーパーPの調味料を使って里芋のそぼろ煮を作る予定。もちろん、主食は白いご飯である。

カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュの思い出

鎌倉のカフェ・ヴィヴモン・ディモンシュのマスター、堀内隆志さんの自伝ともいえる「鎌倉のカフェで君を笑顔にするのが僕の仕事」を読んだ。日本史だけが得意科目の歴男で、大学時代はテニスサークルに所属していた“ミーハー大学生”(本人談)であった堀内さんが、歴史ある町・鎌倉でフランス語の店名のカフェをなぜ始めたのかから、グッズを販売する理由やコーヒーと音楽の関係、20年以上お店を続けてきて感じたことが、堀内さんのお話し方と同じように丁寧で、穏やかな文体で記されている(実は趣味がプロレス観戦の熱い魂を持った方なのだが)。

 

僕が初めてディモンシュに行ったのは1995年ぐらいだと思う。クラブを借りてDJをやっていた頃にフライヤーのデザイナーをしてくれていた娘が「鎌倉に好きそうなカフェがあるよ」と教えてくれ、遠足気分で行ってみようということになった。鎌倉に行ったのは小学生の遠足以来だったので、普通電車で行けばいいところを、わざわざロマンスカーの展望席をとったのを覚えている。

 

コーヒーとミルクが別々に出てきて自分で好みの濃さにすることができるカフェオレ、とろとろの半熟のオムライスの美味しさに驚いたが、「勝手にしやがれ」のポスターが貼られたお店の内装、オリジナルの角砂糖の包装紙やマッチ、喫茶と音楽をテーマにしたフリーペーパー、かかっている音楽など、細かいところにこだわりを感じた。いいカフェだなと思い、以来、一か月に一回は通うようになった。大学時代の後輩がディモンシュでアルバイトを始めたことをきっかけに堀内さんとお話しする機会があり、それ以降、僕は図々しくも行くたびに自分の選曲テープを堀内さんに渡していた。

 

いちばん覚えているのは働いていた出版社を辞め、平日に行った時のこと。2月で、鎌倉の観光シーズンから外れていたこともあり、お店は落ち着いた雰囲気で、地元住民がくつろいでいた。ディモンシュは小町通りから少し入ったところにあり、向かいにはパチンコ屋がある。以前、職場の同僚の男性が鎌倉に住んでいて、そのパチンコ屋の帰りにコーヒーが飲みたくなってディモンシュに入り、「おしゃれな店で短パン・Tシャツ・ビーサンの俺は恥ずかしくなっちゃったけど、コーヒー旨かったよ」と話していたのを思い出した。僕が行った時も堀内さんはいつもよりもリラックスした感じで、僕が座っていた席まで来て、しばし雑談した。フリーペーパーなどで堀内さんがプロレス好きだったことは知っていたので、「実は僕もプロレス好きなんですよ」と話し、ブラジル音楽が静かに流れる中、堀内さんとプロレス談義で盛り上がり、アルバイトをしていた大学時代の後輩に呆れられた覚えがある。

 

その後、アルバイトをしていた後輩がディモンシュを辞めて独立して自分でカフェを開いたり、一緒にディモンシュに通っていた彼女と別れたり、仕事がうまくいかなくなったりなど、いろいろあり、ディモンシュからは足が遠のいてしまった。ツイッターで今年4月26日にディモンシュが21周年を迎えたことを知り、堀内さんに「ディモンシュ21歳の誕生日おめでとうございます」とリツイートした。堀内さんからは、「ありがとうございます。ぼくがディモンシュを始めた26歳までは頑張りたいです」とリプライがあった。先日、妻と江の島に行ったときに帰りに寄ろうとしたが、閉店時間で入れなかったので、また機会を改めて行きたい。

 

実はこの本を読んで一番意外だったのが、開店当時、堀内さんはコーヒーの味がよくわかっていなく、ブラックコーヒーを飲んだことさえなかったという。もちろん現在では自家焙煎されるプロだが、「人は誰でも表現者になれる。そして暮らしの中から自分なりの表現をしていくことで、毎日の幸せを感じることできる」という精神を、「誰もが自由に語り合うフランスのカフェのような場をつくることが自分にもできる表現方法」と、ディモンシュを開店した堀内さんらしいエピソードだと思う。

 

かくいう僕は、いまだにコーヒーはミルクと砂糖を入れないと飲めない、Coffee-milk Crazyなのだが。

 

鎌倉のカフェで君を笑顔にするのが僕の仕事

鎌倉のカフェで君を笑顔にするのが僕の仕事