小出亜佐子さんとの最初で最後の一夜の思い出~ミニコミ「英国音楽」とあの頃の話とFAKE HEAD's NIGHT


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小出亜佐子さん著の『ミニコミ「英国音楽」とあのころの話 1986ー1991』を発売日に購入し「ひょっとしたら」といちばん最後の章「第10章 She Said Yeah!  東京ネオアコ・スモール・サークル・オブ・フレンズの大躍進 1991」を真っ先に開いた。「大塚幸代さん」「フェイク」「FAKEナイト」の太字が目に入った。そこには21歳の僕がいた。

 

僕が小出亜佐子さんのお名前を初めて聴いたのは、バイト先の友人のM嬢の紹介でフリッパーズ・ギターのファンジン「FAKE」を作っていた大塚幸代ちゃんとN嬢に会った時だった。彼女たちはFAKE主催のクラブイベントを開きたいと考えていて当時DJの真似事をしていたM嬢と僕に相談したかったのだ。

 

「2人のほかにはCandy Talkで回しているOさんとスペシャル・ゲストで「英国音楽」作ってた小出亜佐子さんにお願いしようと思ってるの。知ってる、小出さん?」とFAKEの2人はフリッパーズ・ギターのメジャーデビュー前のロリポップ・ソニックのことを小出さんにインタビューしたFAKEの第一号を見せてくれた。「…知らない」と僕は答えた。表紙をめくるとフリッパーズの「偶然のナイフ・エッジ・カレス」の歌詞で知ったセシル・ビートンの写真のコピーがありキャプションで「コイデアサコさん」と書かれていた。

 


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よく見るとその下に、

FAKE:コイデさん、写真を一枚いいスか?

コイデ:えー、うー、載せるの?

FAKE:はあ。

コイデ:…じゃ、自分の顔、載せる?

FAKE:は? 私の写真載せてどーするんです?

コイデ:でしょ。じゃ、おあいこ。

FAKE:…じゃ、ゴジラの顔載せて「コイデさん」って紹介しますよ。

コイデ:あ、それがいい♪

FAKE:…

という訳で。

と続いていたので「結構冗談好きの人なのかな」と思った。

 

家に帰ってからインタビュー記事を読んだが当然知らないことだらけで読んでも「ふーん」という感じだった。

 

「渋谷にあったCSVに置いてもらってた英国音楽の9号を、あの子たち(小沢くん小山田くん)が立ち読みしたらしくて」

「(ライブ)の動員は30人前後。ほぼ知り合いばっかり、みたいな(笑)」

「ドイツにファンクラブがあったなんて、大嘘(笑) 《※ロリポップ・ソニックが雑誌DOLLの新人バンド紹介に載ったとき、プロフィールで「ドイツにファンクラブあり」と載せたらしい》」

 

僕はバイト先のレンタルレコード屋フリッパーズの「海へ行くつもりじゃなかった」を先輩に聴かされてハマり、ネオアコやアノラックというジャンルがあることも初めて知った「にわか」だった。そのくせ仲間内ではネオアコ担当DJということになっていたので「リアルタイム世代の小池さんと一緒に回すなんて大丈夫だろうか」とイベント前から気後れした。ただ、

 

「英国音楽はね、当時は自分の好きな音楽が紹介されなかったし。アズテックブームも去って、中古盤屋でオレンジジュース200円、とかだったから。自分の好きな音楽を自分から探さないと…しょうがなくって。ファンジンを始めたって感じで。

 

という小出さんの言葉が印象に残った。当時僕はS大学の音楽研究会に所属していた。バンド活動をする軽音楽部は別にあり、年4回機関誌(ミニコミ)を発行することが活動目的で、僕はその機関誌の編集長だった。部員の音楽趣味はバラバラで誌面は統一感がなかったが(ディスクレビューでFIVE THIRTYとMETALICAとHIS《細野晴臣+忌野清志郎+坂本冬美》と布袋寅泰が一緒に載る)、世間ではチャゲアスの「SAY YES」とか小田和正の「ラブストーリーは突然に」とかマッキーの「どんなときも」とかが流行ってた頃だったので、「自分が好きなものは違って周りの同級生と話が合わない」という音楽好きが集まりそれぞれが自分の思いの丈をぶちまける場であった。

 

「やっていることのレヴェルの差は程遠いが自分が好きな音楽を人に聴かせたいという気持ちは同じだ」と腹をくくったが、イベントのタイムテーブルが決まり順番が小出さんの後とわかると、また「大丈夫だろうか」と不安になった。

 

FAKE HEAD's NIGHTは1991年10月26日に吉祥寺のHustleで開催された。(詳細は以前書いたこちらのブログ参照)。

 

1991年10月26日 僕らは少し早いフリッパーズ・ギターの「お通夜」をした

http://vibechant.hatenablog.com/entry/2018/10/25/1991%E5%B9%B410%E6%9C%8826%E6%97%A5_%E5%83%95%E3%82%89%E3%81%AF%E5%B0%91%E3%81%97%E6%97%A9%E3%81%84%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%81%AE


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同じ日に川崎CLUB CITTA'でクルーエル・ナイトがあり小出さんはそこからハシゴで来る予定だったが0時を過ぎてもいらっしゃらない。FAKE外交担当のN嬢が「だ、だいじょうぶかなあ…」とウロウロと虚ろな目でうろつく(FAKE 2号の原文ママ)。「小出さんが間に合わなかったらスケルとりあえず回して~」と言われ、小泉今日子ピチカート・ファイヴCDJの「♪今すぐDJ この場をDJ つないでおくれよCDJ」というフレーズが頭の中によぎりつつバタバタと準備した。

 

出番の0時半の15分前に「ごめんねえ~ほんとにごめんねーごめんねーごめんね~」(原文ママ)と小出さんが到着した。僕は小出さんに「初めまして」と手短に挨拶しDJ機材の説明をした。小出さんが1曲目をかける。ハッピバースデー♪ ハッピバースデー♪  オルタード・イメージズが鳴り響く(原文ママ)。


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小出さんの選曲は当時の僕にとっては正直知らない曲が多く(おそらくイベントに来ていたお客さんのほとんどもそうだったはず)、小出さんの後ろで回るレコードを覗き見していた。最後にかけた英国音楽12号に着いたフレキシ(ソノシート)のロリポップ・ソニックのGoodbye, Our Pastels Budgesも会場の反応は「あれ?なんか違う?」という感じだった。

 

小出さんと交代し1曲目の頭出しをしていたらPastel Badgesの最後の方が針飛びした。「あ…」と思ったが「ロリポップソニックのフレキシが聴けるなんてこの先もうないかもしれないし」と曲が終わるまでギリギリ待ち、フリッパーズのFriends AgainのLong Ver.(ラ・ディ・ダ「Borobudur」収録)につないだ。ロリポップ・ソニックソノシートを小出さんに「お疲れ様でした」と渡し次にかける曲の頭出しを始めた。次に僕がかけたのはRoger Nichols & The Small Circle of FriendsのDon't Take Your Time。サバービアの再発盤が再発されたのは2年後でCDでかけた(CDJはまだなくポータブルCDプレイヤーだった)。その後も自分のDJで精一杯でネオアコは3分以内に終わる曲がほとんどなので1時間半回した後はぐったりした。

 

「初めまして」「お疲れ様でした」。小出さんと交わしたのは結局この二言だけだった。暗がりだったため、お顔もはっきりとは覚えられなかった。いまみたいにケータイもなく写真をすぐ撮ることはなかったので僕の手元にはFAKE 2号の記事しか記録としては残っていない。ノルマ50人のハコに261人も押し寄せたので終わった後は「よかったねぇ」と呆けたように言った後は眠気と疲れがどっと出て打ち上げをすることもなくそれぞれ帰宅した。何より参照ブログに書いた通りイベント前に僕らはフリッパーズが解散することを知ってしまっていたし、小出さんももちろんご存知だった。僕らにとっては一足早い追悼イベントになってしまったのでどこか虚しかったのだ。

 

その後、小出さんにお会いすることはなかった。僕の音楽趣味もUKインディーズからジャズ、ソウル、ブラジルへと変わっていった。FAKEもFAKE HEAD's NIGHTも幸代ちゃんやN嬢と会った時に思い出話として話す程度で、小出さんのこともお名前ぐらいしか覚えていなかった。

 

時が流れ、FAKE HEAD's NIGHTから四半世紀近く経った2015年3月末。ストーン・ローゼスソニックマニアに出演するからとたまたまツイッターを登録したら、大塚幸代ちゃんの訃報が偶然TLに流れてきた。携帯を無くし、昔の友人とは音信不通になっていたので、独り虚しく幸代ちゃんとの思い出をブログに綴っていたらRTされ、瞬く間にフォロワー数が増え、N嬢ともつながることができた。その後、コーネリアス小沢健二が久しぶりに新曲をリリースしたり、野宮真貴渋谷系を歌うシリーズのライブを始めたり、小西康陽がピチカート・ワンとして活動を始めたり、なぜか渋谷系再評価が起き始めた。そんな中で小出さんと思わしきアカウントを見つけフォローし、いつの間にか相互フォローして頂きたまにリプし合うようになった。

 

そして小出亜佐子さん著の『ミニコミ「英国音楽」とあのころの話 が発売された翌日、偶然にもツイッターで知り合った方にフリッパーズ・ギターのデビュー30周年を語り合う「FG30会」に誘われた。会には当時を知らない若い世代も参加し僕が持参したFAKEをめずらしそうに眺め、FAKE HEAD's NIGHTのフライヤーをプライマル・スクリームのライブで配っていた時にFAKEの2人がフリッパーズの解散を本人の口から訊いた話をすると驚いていた。30年近く前の1991年、21歳の僕が小出さんの英国音楽を初めて知った時の反応と同じものだった。

 

小出さんが本の最後で『「自分でやれ」というメッセージ(eleーking Powered by DOMMUNE野田努さんによるレインコーツのインタビュー)』という言葉を引用されている。ネットがなかった小出さんや僕らの時代は自分でファンジンを作ったりイベントを開いたり、そこに参加することで同じ趣味の仲間を広げていった。それは後のシーンに影響を及ぼすとか大層なことではなくても(小出さんがなさったことは大層なことだけど)、何よりやってて楽しかったのだ。小出さんが本で仰っているように「わらしべ長者」として次の世代に自分が経験した楽しさを伝えること、それがリアルタイム世代の役割なのだろう。

 

最後に。著者紹介で小出さんご本人の写真を見た。こんなお顔だったかどうだったか…。小出さん、僕の顔を覚えていますか? 幸代ちゃん曰く「フナキカズオに似てハンサム♥️」(原文ママ)らしいですが。


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