1991年10月26日 僕らは少し早いフリッパーズ・ギターの「お通夜」をした


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フリッパーズ・ギターのヘッド博士の世界塔が発売された1991年の夏休み。アルバイトをしていたレンタルレコード屋のバイト仲間の女の子に「フリッパーズのファンジンを作っている子達と知り合ったんだけど会ってみない?」と誘われ、FAKEのN嬢と大塚幸代ちゃんに会った。彼女たちはFAKE主催のイベントをやりたいと考えていて、当時僕らは吉祥寺にあったクラブHutsleを借りてDJの真似事をしていたので、僕らで良ければと協力することになった。イベント名はヘッド博士にちなみ「FAKE HEAD'S NIGHT」だった。

 

DJは僕らのほか、イベントCandy Talkで回していたOさん、スペシャルゲストにファンジン英国音楽の編集長であった小出亜佐子さんに参加してもらえることになった。開催日は1991年10月26日、運悪く瀧見憲司さんのクルーエルレコードのイベントと同じ日だったが、僕らはFAKEの二人が作ったフライヤーをレコード屋や古着屋に置いてもらったり、渋谷のクラブクアトロや川崎のクラブチッタでUKインディーズのアーティストの来日公演があるたびに配りまくった。

 

1991年10月8日のクラブチッタでのプライマル・スクリームの来日公演の時も僕らはフライヤーを配っていた。プライマルのライブはマンチェ全盛期なのに、アンコールでMC5のRambling Roseをカバーする最高のロックンロールショーだった。ライブ後のチッタ周辺は熱気が残り、フライヤーを受けとる人たちも友好的だった。ところがN嬢と幸代ちゃんが顔色を変えて駆け寄ってきた。「小山田さんがいたから解散の噂は本当ですかって訊いたら、うん、って…。」。実はFAKEの二人は10月になってからフリッパーズ解散の噂をきき、彼らに近い人たちからも本当だと言われていたのだった。「幸代ちゃん、今日はやけになったみたいに踊るな」と僕は不思議に思っていたのだがそういうことだったのか。さすがに「えー!!!」と叫んだが、FAKEの二人は小山田さんのそばにいたスタッフらしい人に「パニックになったりすると困るでしょ、ね…」と言われていた。N嬢は「小山田さんから『これあげる』ってキャラメルもらった…」と、ポリスターの宣伝用のハイソフトを見せた。「口塞ぎでキャラメルかよ…」と力が抜けた。

 

それでもFAKE HEAD'S NIGHTは予定通り開催された。生憎の雨模様で肌寒い日だったのにも関わらず22時のオープンから30分過ぎた頃にはFAKEの二人が用意していたフリーペーパー200部がなくなり、Hutsleのキャパを遥かに上回る大盛況ぶりだった。ネットもケータイもなく、フライヤーとクチコミだけが頼りの時代によくこれだけの人が集まったと思う。


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僕は22時~22時半のオープニングと1時半~3時を担当した。(余談だがDJネームはアダ名のSUKERU。本名の透をもじってバイト先でつけられたアダ名だが、その後もDJをしている時は別人格[当時の本職は編集者]だと思って使い続けたので、今でも本名を知らずこのアダ名で呼ばれることがある)。掲載した写真のプレイリストには載っていないが最初の30分は客入りの時間帯でもあったので、クローディヌ・ロンジェのWho Needs Youやビーチ・ボーイズのGod Only knowsなどの元ネタをBGMのように回した。

 

後半の1時間半は人気のあったネオアコやマンチェに、当時知ったばかりだったソフトロックを混ぜた。ロジャー・ニコルスのDon't Take Your Timeをかけた時に「これ誰ですか?」と訊きにくる女の子が多かった(サバービアの再発盤が発売されたのは2年後の1993年)。1stのタイトルにもなってるからとかけたオレンジ・ジュースのThree Cheers for Our Sideはフロアの反応がイマイチだったが、ベレー帽ギャル殺しのウッド・ビー・グッズのCamera Loves Meで挽回した後は、モノクローム・セットのJacob's Ladder、ヘアカット100のMy Favourite Shirts、ブルー・ベルズのYoung At Heart、アズテック・カメラのPillar To Postと人気曲を連発し、最後はフリッパーズの午前3時のオプをかけて「今、午前3時でーす!」とドヤった。

 

イベント最後の曲はフリッパーズ・ギターのさようならパステル・バッジだった。FAKEの二人はやけになったかのように騒ぎ、曲が終わると「フリッパーズ・ギター解散!」と叫んだ。最後まで残ってた人たちが一瞬「え、何それ?」と少しざわついたが、イベントのお開きを告げる明かりがつくとしらけたかのように帰って行った。

 

10月27日朝5時。最終入場者数261人。Hutsleのオーナーは「どうもありがとうございました~」と客入りに満足気だったが、僕らは呆けたように「一足早いお通夜だったかもしれないね」と、力なく笑った。翌々日の10月29日、フリッパーズ・ギターの解散が公式に発表された。