人生は驚きの連続だ


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こんな歌はどうだろうか?

「思い出が僕の心の片隅を照らす/霞がかった水彩画のような思い出」。

 

ときには思い出がとんでもない嘘をつくことを、僕らはみな知っているが、生まれてから50年間を振り返るとき、僕の伝説的な経歴の1日ごとの細かい出来事が、時のカンヴァスをよごすしみとなり、信じがたいほど霞がかった水彩画のような思い出を形づくりつつあるのを見ても、僕は不幸ではない。

 

10歳の時に親戚の叔母さんにもらったお小遣いで兄に強要されドラえもんではなくYMOライディーンを買ったのは音楽ヲタになる偶然という必然だったのか?

 

地元のレンタルレコード屋に通い後にバイトまでするようになったのが音楽ヲタに拍車をかける要因だったのか?

 

フリッパーズギターのファンジンFAKEでヘッド博士の世界塔の元ネタ原稿を書いたことで30年経った今でもいろんな世代・立場の人とSNSで音楽話をし、FAKE Head's Nightでご一緒した小出亜佐子さん(「英国音楽」とあの頃の話)に28年後にまたお会いできたのは今は亡き大塚幸代ちゃんの導きだったのか?

 

人生でいちばんCDを買ったであろうショップで40を過ぎてから働くことになったのはこのまま音楽ヲタで一生を終える運命なのか?

 

僕はありのままを思い出しているのか、それとも時の流れが記憶を書き換えてしまったのか?

 

50年間生きつづけたことで、最良の部分だけが正当化されるのかもしれないが、まだこれから最良のものがやってくることを願う者にとって、ノスタルジーに浸ることは困難だ。先のことは誰にもわからない。人生は驚きの連続だ。

半世紀おめでとう、自分。

 

(How does the song go?/Paddy McAloon[remixed by Toru a.k.a. Sukeru])