僕の下北沢ものがたり~early 90’s~

この間、祖師ヶ谷大蔵にライブを見に行った帰りに下北沢で乗り換え、井の頭線に乗ろうとしたのだが、複雑な地下の迷路で困惑した。考えてみれば、下北沢の駅が地下になってから行っていなかった。

 
僕が下北沢にいちばん行っていたのは、90年代の始めの頃。通っていた大学が小田急線沿線にあり、下北沢まで急行で一駅だったので、何かにつけてはよく行っていた。
 
まずは、中古レコード屋レコファン、イエローポップが定番で、一番のお宝発掘はレコファンでポール・ウィリアムスの『サムデイ・マン』、イエローポップでアル・クーパーの『赤心の歌』(共に帯付き日本盤)だが、そんなお宝を発掘することはしょっちゅうあることではなく、どちらかというと暇潰しにレコードを見るという感じだった。
 
DJを始め、ジャズやソウルを聴くようになってからは、フラッシュ・ディスク・ランチに行き始めた。新入荷のレコードを放出する土日に並び、ギル・スコット・ヘロンの『It’ Your Word』を手に入れたのは忘れられない。といっても、これまたそんなレア盤を見つけることはめったになく、客にレコードの扱い方を口煩く指導する椿正雄店長の姿の方が思い出だったりする。
 
レコードを探せば、当然腹も減る。下北沢は安くて旨い店の宝庫だ。なかでも、「世界で3番目にうまい」(1番うまいものはあなたのおふくろの味、2番目はおやじのスネの味、3番目は珉亭のそばの味)の中華料理屋の珉亭はしょっちゅう通った。今でも、この店の江戸っ子ラーメンがいちばん美味しいラーメンだと思う。呑みなら、ジャンプ亭かにしんば。ジャンプ亭はじゃんけんに勝つと飲み代をタダにしてくれるが、残念ながら勝った覚えはない。 
 
まだ遊ぶ余裕があれば、ZOOかCLUB QUEで踊った。ZOOは、瀧見憲司さんのLOVE PARADEにフリッパーズ・ギターの二人がよく来てたことで有名だったが、僕は大学の先輩にYASSさんのクラブ・サイキックスに連れてってもらっていた。YASSさんとはその後、Budgie Jacketとb-flowerがシェルターでライブをやった時にDJとして共演することができ、僕がLotus Eatersをかけると、YASSさんに「懐かしいなぁ」と言ってもらえたのを覚えている。CLUB QUEはフリッパーズ・ギターのファンジン「FAKE」主催のFAKE HEAD’S NIGHTで共演したOさんがDJをやっていたSome Candy Talkに行っていた。
 
夜遊びを楽しんだ後は、ぶーふーうーで始発を待つのが常だった。閉店を惜しむツイートが多かったが、個人的には出される食事はお世辞にも美味しいとは言えなかったというのが正直なところではある。
 
大学を卒業し、社会人になってからは下北沢にはあまり行かなくなり、代わりに宇田川町に中古レコード屋がたくさん出来たため、渋谷に行くようになった。『下北沢ものがたり』のフラッシュ・ディスク・ランチの椿正雄店長のインタビューで、サバービアの橋本徹さんの「渋谷系はもとを正せば下北沢」説が出てくる。橋本さんもフラッシュィスク・ランチに通っていたからである。
 
そういう意味では、僕にとって下北沢は、自分の音楽趣味のルーツとも言える街だ。レコファンもイエローポップもZOOもなくなってしまったが、こうやって思い出噺を綴り、伝えることが、少しでも恩返しになればと思う。
 

 

 

 

下北沢ものがたり

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