町の中華料理屋さんが好き


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妻が出かけていたり、残業で遅くなると、大抵中華料理屋で夕飯を食べる。中華料理屋と言っても、本格的な店ではなく、日本人または在日の中国人が経営している町の中華料理屋。天津飯、タンメンといった本場の中国にはない、日本人が考案したメニューがある大衆的な店が好きだ。

 
最近は渋谷宇田川町の某店によく行く。別に隠れた名店というわけではない。なにしろ交番の近くにあるのだから。カウンターと四人テーブルが2つの小さな店で、腹を空かせた男達でいつも混んでいる。たまにいかにもの渋谷ギャルが餃子を摘まんでいることもあるが、どこにでもよくある町の中華料理屋だ。
 
よく注文するのはスーラータンメン+半チャーハンのセット。スーラータンメンを食べつつ、酸っぱ辛いスープでチャーハンを流し込むのが好きだ。冷たい空気で冷えきった体が直ぐに暖まるから。
 
町の中華料理屋では、大抵音楽は流れていない。カウンター中心の店で一人で来てる客が多いので、話し声もあまりなく、皆黙々と食べる。店員が片言で「○○ラーメンセットー」と注文を繰り返す声だけが店内に響く。
 
食べ終わったら、「ごちそうさん」を言い、会計を済ませ、さっさっと出ていく。店に入って出るまで20分ぐらい。あっという間だが、自分では結構気に入った過ごし方である。
 
小西康陽さんのエッセイ『これは恋ではない』でも、好きな食事として町の中華料理屋さんの話が出てくる。僕はこのエッセイが愛読書なのだが、と言っても別に小西さんの真似をしているわけではない。男の子はみんな、女の子が好きなように、町の中華料理屋さんが好きなのだ、きっと。
 

 

 

 

これは恋ではない―小西康陽のコラム 1984‐1996

これは恋ではない―小西康陽のコラム 1984‐1996

 

 

 

 

 

なぜ今さらブログを始めたのか~人生は驚きの連続だ。

2015年が終わる。振り返ってみれば、今さらブログを始めるとは思っていなかった。

きっかけは、ライターの大塚幸代ちゃんが亡くなったこと。彼女の訃報があってから、ネットに垂れ流される書き込みを見ていたが、クイックジャパンオザケンの追っかけをした非常識なライターという認識が大半だった。それを見ていると自分までそう思ってしまうような気になり、自分の覚えている幸代ちゃんのことを書き留めておこうと思ったのだ。

幸代ちゃんが記憶の箱を開けたのか、不思議なことにその後、ちょっとした“渋谷系リバイバル”が起きた。小沢健二の雑誌『Monkey』の寄稿、小西康陽のPIZZICATO ONEのアルバム『わたくしの二十世紀』と野宮真貴のアルバム『世界は愛を求めている。~野宮真貴渋谷系を歌う』のリリース&ライブ、サバービアの名盤CD再発、樋口毅宏の小説『ドルフィン・ソングを救え!』の発刊…。渋谷系が好きだった人とのTwitter相互フォローも増えた。

フォロワーさんのツイートで、小沢健二が「人間は12月になると回顧に入るから、1年の十二分の一を回顧に費やしていることになる」と何かの雑誌のコラムで書いていた、というのを読んだが、自分は12月になるとどころか、一年中回顧に費やしているようなものだった。もう人生の半分を生きたのだから、昔語りが増えるのも仕方がないかもしれないし、「その素晴らしさを伝えていくのが、愛する者の務めではないだろうか」(『ドルフィン・ソングを救え!』)とは思う。

ただ、これからもまだ最良のものが来ることを願うのなら、ノスタルジーに浸ってばかりはいられない。年をとって少しは賢くなっても、何かの助けにもなるわけではない。人生は驚きの連続なのだから。


ア・ライフ・オブ・サプライジズ

ア・ライフ・オブ・サプライジズ


僕の下北沢ものがたり~early 90’s~

この間、祖師ヶ谷大蔵にライブを見に行った帰りに下北沢で乗り換え、井の頭線に乗ろうとしたのだが、複雑な地下の迷路で困惑した。考えてみれば、下北沢の駅が地下になってから行っていなかった。

 
僕が下北沢にいちばん行っていたのは、90年代の始めの頃。通っていた大学が小田急線沿線にあり、下北沢まで急行で一駅だったので、何かにつけてはよく行っていた。
 
まずは、中古レコード屋レコファン、イエローポップが定番で、一番のお宝発掘はレコファンでポール・ウィリアムスの『サムデイ・マン』、イエローポップでアル・クーパーの『赤心の歌』(共に帯付き日本盤)だが、そんなお宝を発掘することはしょっちゅうあることではなく、どちらかというと暇潰しにレコードを見るという感じだった。
 
DJを始め、ジャズやソウルを聴くようになってからは、フラッシュ・ディスク・ランチに行き始めた。新入荷のレコードを放出する土日に並び、ギル・スコット・ヘロンの『It’ Your Word』を手に入れたのは忘れられない。といっても、これまたそんなレア盤を見つけることはめったになく、客にレコードの扱い方を口煩く指導する椿正雄店長の姿の方が思い出だったりする。
 
レコードを探せば、当然腹も減る。下北沢は安くて旨い店の宝庫だ。なかでも、「世界で3番目にうまい」(1番うまいものはあなたのおふくろの味、2番目はおやじのスネの味、3番目は珉亭のそばの味)の中華料理屋の珉亭はしょっちゅう通った。今でも、この店の江戸っ子ラーメンがいちばん美味しいラーメンだと思う。呑みなら、ジャンプ亭かにしんば。ジャンプ亭はじゃんけんに勝つと飲み代をタダにしてくれるが、残念ながら勝った覚えはない。 
 
まだ遊ぶ余裕があれば、ZOOかCLUB QUEで踊った。ZOOは、瀧見憲司さんのLOVE PARADEにフリッパーズ・ギターの二人がよく来てたことで有名だったが、僕は大学の先輩にYASSさんのクラブ・サイキックスに連れてってもらっていた。YASSさんとはその後、Budgie Jacketとb-flowerがシェルターでライブをやった時にDJとして共演することができ、僕がLotus Eatersをかけると、YASSさんに「懐かしいなぁ」と言ってもらえたのを覚えている。CLUB QUEはフリッパーズ・ギターのファンジン「FAKE」主催のFAKE HEAD’S NIGHTで共演したOさんがDJをやっていたSome Candy Talkに行っていた。
 
夜遊びを楽しんだ後は、ぶーふーうーで始発を待つのが常だった。閉店を惜しむツイートが多かったが、個人的には出される食事はお世辞にも美味しいとは言えなかったというのが正直なところではある。
 
大学を卒業し、社会人になってからは下北沢にはあまり行かなくなり、代わりに宇田川町に中古レコード屋がたくさん出来たため、渋谷に行くようになった。『下北沢ものがたり』のフラッシュ・ディスク・ランチの椿正雄店長のインタビューで、サバービアの橋本徹さんの「渋谷系はもとを正せば下北沢」説が出てくる。橋本さんもフラッシュィスク・ランチに通っていたからである。
 
そういう意味では、僕にとって下北沢は、自分の音楽趣味のルーツとも言える街だ。レコファンもイエローポップもZOOもなくなってしまったが、こうやって思い出噺を綴り、伝えることが、少しでも恩返しになればと思う。
 

 

 

 

下北沢ものがたり

下北沢ものがたり

 

 

 

 

 
 

クラブでレッツ・ダンスまたはパーフリ・ギャルのハート鷲掴み計画~1991年のクラブ・プレイリスト再現


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実家の部屋の整理をしてたら、クイック・ジャパン38号(2001年8月発行)が出てきた。大塚幸代ちゃんが企画した「解散10周年記念特別企画 ノー・モア・フリッパーズ・ギター」が掲載された号である。

 
僕は「これから“フリッパーズ・ギター”を聴く人のためのディスクガイト」を執筆したのだが、その中で1991年のクラブ・プレイリストを紹介した。読み返すと懐かしくも笑える内容だったので、再録してみたい。
 
 
~~~~~~~~~以下、再録~~~~~~~~~
 
 
 
 今でこそ“クラブ”は、普通に遊びに行く場所の一つになったが、80年代はなんか恐くてヤバイ場所というイメージが強かった。それが90年代になってから、いわゆるマンチェスター・ブームの伝来、そしてフリッパーズ・ギターの登場によって、英国の音楽を回すクラブ・イベントが急速に増えた。
 当時、パーフリ・ギャル&男子が必ず行っていたのが、今は亡き下北沢のZOOでやっていた“LOVE PARADE”。DJは、CLUE-Lレーベル代表でライターの瀧見憲司氏。後にジャズやソウルまで幅を広げた氏の選曲眼は、まさに90年代の渋谷系ポップスの変遷そのものだった。その眼は、時として、回っている盤をチェックしようとDJブースを覗く客を、鬱陶しそうに睨み返すものになったが。
 そんな瀧見氏に負けじと(?)、素人DJによるクラブ・イベントも数多く開かれた。僕も当時、そんな素人DJのひとりで、心のベスト15はこんな曲だった…って、それはスチャダラ&オザケンか。
 
●当時の典型的イベント・サンプルを誌上再現!!
「クラブでレッツ・ダンスまたはパーフリ・ギャルのハート鷲掴み計画」
DJ:トオルa.k.a. スケル“当時21歳”
 
1.Friends Again(Long Version)/The Flipper’s Guitar
まずは、当時Budahレーベルのコンピにしか収録されていなかった前奏の長いバージョンで、ギャル&オタクの心を鷲掴み。
 
2.Delilah Sands/The Brilliant Corners 
“パッパッパラッパ”コーラスに合わせ、トンボの眼を回す仕種を両手でやるのがお決まり。
 
3.Yeah!(Single Version)/International Resque 
アルバム・バージョンは良くないので、7inchで回すのが通。
 
4.Dying For It/The Vaselins 
サビの“Ah~, Haging On”で絶叫する野郎多し。
 
5.Beatnik Boy/Tallulah Gosh 
思わずタテノリ跳ねをしてしまい、「あの娘、元ビーパンよ」と後ろ指さされ、赤面するギャル。
 
6.There She Goes /The La’s 
聖歌隊のようにみんなでサビの“There she goes~”を大合唱。
 
コーラスの“ア ハァン”でスカートをまくる真似をするプチ・セクシー・ダンスが一部ギャルの間で流行。
 
8.Nothing Can’t Stop Us/Saint Etienne
アンニュイ気取りで、カウンターで頬杖ついてたカヒミ・カリィ似のあの娘もこの曲だけは踊ってくれた。
 
9.Come Together/Primal Scream 
ボビー・ギレスピーの真似をして体をクネクネさせる野郎。それを見て「あいつボビ男よ、気持ち悪い!」と、ひくギャル。
 
10.The Only One I Know/The Charlatans 
とりあえず、みんなマスカラふるでしょ。
 
11.Three Cheers For Our Side/Orange Juice 
パーフリの1stのタイトルにもなってるし」と回すが、ギャル受けせず、後悔。
 
12.The Camera Loves Me/The Would-Be-Goods 
ベレー帽ギャル殺しのこの曲で、ネオアコDJの面子を取り戻す。
 
13. Jacob’s Ladder/The Monochrome Set
曲のエンディング間際のドラムだけのパートはみんな手拍子。
 
14.My Favorite Shirts/Haircut 100
さぁ、“Boy meets girl~”で、みんな片手を上げて!
 
15.Pillar To Post/Aztec Camera 
サビになると、みんな両手を広げ満面の笑み。
 
16.午前3時のオプ/The Flipper’s Guitar 
「いま午前3時です」とニクい選曲(と思っているのは自分だけ)で逃げるDJトオルa.k.a. スケルであった。
 

 

 

 

bossa nova 1991 shibuya scene retrospective

bossa nova 1991 shibuya scene retrospective

 

 

 

 

愛こそがいつの時代も歌のスタンダード~世界は野宮真貴を、渋谷系を、愛を求めている。

世界は愛を求めている。What The World Needs Now Is Love~野宮真貴渋谷系を歌う。は、かつて渋谷系を愛聴した者としては、買う義務があると発売前から楽しみにしていた。

購入してから最初から最後まで一曲も飛ばすことなく、繰り返し聴いている。この記事を書いてる今も、度々キーボードを打つ手が止まり、一緒に歌ってしまう。ピチカート・ファイヴバート・バカラックロジャー・ニコルズ、トワ・エ・モア、松任谷由美山下達郎、スクーターズ、EPOフリッパーズ・ギター観月ありさ小沢健二。選曲の素晴らしさに脱帽してしまう。

この選曲ラインアップを見て、「バート・バカラックロジャー・ニコルズは洋楽でしょ」とか、「ユーミンや達郎、松田聖子EPOまで渋谷系?」と思う人もいるかもしれない。

バート・バカラックロジャー・ニコルズは一部のポップスマニアの間では知られていたかもしれないが、彼らのアルバムがCDで再発され、手に入りやすくなったのは、渋谷系といわれたアーティスト達が元ネタにしたり、レコメンドしたからであり、渋谷系のルーツと言える。松任谷由美の初期の荒井由美時代は、細野晴臣が在籍したキャラメル・ママ/ティンパンアレーが制作に関わっており、ピチカート・ファイヴ細野晴臣が作ったレーベル、ノンスタンダードからデビューしている。山下達郎は自ら「かつては元祖夏男、いまは元祖渋谷系」と語っている。これは達郎がパーソナリティを務める長寿ラジオ番組「サンデー・ソングブック」で渋谷系アーティスト達がルーツにしたような良質なポップスを紹介していたからであり、その達郎に大きな影響を与えた大瀧詠一のラジオ番組でピチカート・ファイヴ小西康陽ロジャー・ニコルズを知ったという。松田聖子の「ガラスの林檎」は作詞は松本隆、作曲は細野晴臣はっぴいえんどコンビだ。さらにEPOはレコーディングでアメリカを訪れた時にロジャー・ニコルズに会ったことがあるという。

(「渋谷系御三家オリジナル・ラブが選ばれてない」という意見はあるだろうが、昨年リリースされたライブアルバム『実況録音盤 野宮真貴渋谷系を歌う』で「月の裏で会いましょう」を取り上げているし、「接吻」をカバーするアーティストが多いので、あえて外したのではと思う。ちなみに田島貴男はライブで「オレは渋谷系じゃねえ!」と発言したことがある。その言葉の後には「…だって大阪育ちだから」というオチがあるが)

何よりも僕が蘊蓄を述べる前に、アルバムの解説でその意図が記されている。

野宮真貴と坂口修が“渋谷系スタンダード化計画”でピックアップした音楽はごくごく真っ当な渋谷系である。60年代も90年代もいい音楽という基準は変わらないのだから。(中略)渋谷系は決して流行りモノではなかった。素晴らしい音楽を探し、伝えるための出来事だったのだと。

このアルバムのもう一つの大きなテーマはアルバム・タイトル通り、“愛”だと思う。あらためて言葉にすると恥ずかしいが、選ばれた曲の歌詞は“愛する”という多幸感に満ち溢れている。バート・バカラックの「What The World Needs Now Is Love」の小西康陽が書き下ろした日本語訳詞では、

愛しあう心が 必要かもね 愛し合う気持ちが 何よりも大事なの もう何も要らないでしょ 山も川も草原も 何もかも欲しいものは この世に溢れている

と、高らかに愛しあう心の大切さが歌われている。この「世界は愛を求めている」ということこそ、いつの時代にも不変的なことであり、スタンダードとして歌い継ぐべきテーマにふさわしいものではないだろうか。

いろいろ書いたが、何より願うのは、このアルバムを僕のように90年代を過ごしたオヤジが懐メロとして聴くだけではなく、今の10代、20代の若い子達が「渋谷系って知らないけど、いい曲だね」と聴き継がれ、歌い継がれ、スタンダードとなること。あれからもう四半世紀近くたつのだから、そろそろそうなってもいいと思うのだ。

世界は愛を求めてる。 What The World Needs Now Is Love~野宮真貴、渋谷系を歌う。~(初回限定盤)

世界は愛を求めてる。 What The World Needs Now Is Love~野宮真貴、渋谷系を歌う。~(初回限定盤)

星野みちる 黄昏流星群 11/2 Club Asia ~元・渋谷系男子(?)の初のアイドル・ライブ体験記


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11月2日、渋谷のClub Asiaで初めて星野みちるのライブを見た。アイドルのライブを見るのもこれが初めてである。

これまでいろんな音楽を聴いて来たが、アイドルに夢中になったことは一度もなかった。松田聖子が人気だった小学生の頃はYMOに夢中で、アイドルを聴くのは幼稚だと自分もまだガキのくせに思っていた。それが後に作詞が松本隆で、細野晴臣も作曲していたことを知り、聴き直して改めて良いと思った。

星野みちるを知ったのも、実はつい最近のことで、シングル「夏なんです」の作詞・作曲が小西康陽であることに興味を持ち、聴いてみたら見事にハマった。さらにヤン冨田のDOOPEESの「窓から」をカバーすることに驚き、アルバム『YOU LOVE ME』を発売日に購入し、これまたハマった。製作陣が豪華なのに1曲目の「ディスコティークに連れてって」が星野みちる自身の作曲(作詞ではないのもめずらしい)であることにまたもや驚き、しかも某アイドルグループのディスコソングよりはるかに良かった(彼女はその某アイドルグループの第一期生なのだが)。要するに音からハマったわけで、自分はドルオタではないと言い訳がましくなるのは、嫁が「アイドルばかり聴かないで」と思っているからである(これはNeggiccoか)。

と相変わらず前置きが長くなったが、星野みちるのライブ、何しろ初めてのアイドルのライブなので、ペンライトはやはり必要なのか、振り付けや掛け声を予習しなくても大丈夫か、そもそもどんな格好で行ったらいいのかといろいろ悩んだが、ライブは「音を生で聴きたい」から行くのであってアイドルも同じことだと開き直り、いつものようにアルバムを聴き込むだけにした。

会場のClub Asiaに開場時間の18時に着くとすでに列ができていた。年齢層は高め、男性が圧倒的に多い。入場後、物販でライブ会場限定販売のスクーターズとの共演アナログシングル「東京ディスコナイト」(カップリングは「恋するフォーチューンクッキー」)を買い、ドリンクを飲みながら後方で開演を待つ。悪天候の平日ではあったが、開演後には会場はほぼ満杯になった。

定刻の19時に星野みちるが登場しライブがスタートするが、カラオケと前方の客のペンライトにやはり違和感を感じ、乗りきれない。それでも好きな「夏なんです」になると自然に体が動きだし、ゲストの矢船テツローのピアノをバックに歌ったジャズ・テイストの「MISTY NIGHT, MISTY MORNING」、“日本一ブリティッシュなシンガーソングライター”の松尾清憲(祝30周年!)とのデュエット「My Tiny World」でかなりのめり込む。

衣装換えした第二部からはワックワックリズムバンドのメンバーを中心にした流れ星楽団をバックに従え、のびのびと楽しそうに歌う。やはり生演奏の方が自分にはしっくりくる。特にホーンセクションがあると楽しくなる。星野みちるのヴォーカルもカラオケの時より安定しているように聴こえる。「腰抜け男子にアイラビュー」「ディスコティークに連れてって」は、かなりの高揚感があった。

アンコール後、サプライズで10周年記念の花束贈呈があった(所属レーベルの社長が●元康のお面を被っていて笑えた)。アイドルの低年齢化による活動年齢の限界=卒業が早まるなか、星野みちるはすでにキャリア10年のベテランなのだ。彼女が今後シンガーソングライター色を強めていくのか、松田聖子のように永遠のアイドルでいるのかはわからないが、そのどちらでもない不思議な立ち位置の歌手でいるのが星野みちるの魅力なのではーーと感じたライブだった。


YOU LOVE ME

YOU LOVE ME

私的・夜のプレイリスト~私の人生と共にあった5枚

最近、NHK FMの深夜0時に放送している「夜のプレイリスト~私の人生と共にあった5枚」をよく聴いている(スマホでアプリらじる・らじるをダウンロードして聴き、ツイートすることを学習した)。

毎週ゲストがアルバム5枚を選び、思い出を紹介しながら、毎晩アルバム1枚を最初から最後まで通してかける。シングル・ヒットをスマホの音楽アプリで聴くのが主流の今の時代にはめずらしい放送スタイルだ。2015年度は久保田利伸石井竜也内田春菊奈良美智、六角精児、平間至津田大介コシノジュンコ(敬称略)などかゲスト出演している。この記事を書いている週は牧村憲一さんで、音楽プロデューサーならではの秘話を交えながら、坂本龍一の『音楽図鑑』、加藤和彦の『パパ・ヘミングウェイ』、ピエール・バルーの『CA VA, CA VIENT』などを紹介している。

この番組、思い出のアルバムを5枚選ぶのは大変だろうが、夜のアルバムというのも難しいと思う。最初から最後まで捨て曲なしで、深夜0時に落ちついて聴けて、なおかつ思い出のあるアルバムを5枚選んでみた。

Bgm

●B.G.M. /YMO

小学生の頃、自分のお小遣いで買った初めてのアルバム。「ライディーン」のような明るいテクノ・ポップを期待していたのに、レコード針を落としてみたら聴こえてきたのは暗いこもった音で、ステレオが壊れたのかと思った。買って失敗したと思ったが、何度か聴いているうちにはまった。友達に薦めたが「暗い音楽聴くネクラだ」と言われ、無視された苦い思い出が。


This Is the Sea (Bonus CD)

●This Is The Sea/The Waterboys

深夜に聴くには少し激しい音だが、中学生の頃、一番聴いた思い出のアルバム。マイク・スコットが書く内省的かつ情熱的な詞の世界にはまり、対訳歌詞を熱心に読みながら聴いた(“That was the river, This is the sea.”という歌詞に感銘し、授業中にノートにこの言葉を落書きしていた。まさに厨二病)。当時はキラキラしたシンセサイザーの第二次ブリティッシュ・インヴェイジョンが流行していたため、またもや友達に無視される結果に。


ノース・マリン・ドライヴ

●North Marine Drive/Ben Watt

通っていたレンタルレコード屋でジャケットがいいなと思い借り、とても気に入ったが、輸入盤だったため、どんなアーティストなのかわからなかった。後にフリッパーズ・ギターをきっかけにネオアコの名盤ということを知るが、当時はそんな言葉は知らず、海外のフォーク歌手はダサくなくて洗練されているぐらいしか思わなかった。好きな女の子に薦め気に入ってもらえたのだが、代わりに「日本のフォークもいいよ」と中島みゆきの『生きていてもいいですか』を貸され、感想に困った。


Couples

●カップルズ/ピチカート・ファイヴ

大学生の時に在籍していた音楽サークルの先輩に教えてもらったのだか、このアルバムをきっかけに、60年代のソフトロック、イージーリスニング、映画音楽、ボサノヴァなどいろんな音楽を聴くようになった。今の音楽趣味を決定づけた一枚であり、周りから音楽オタク呼ばわりされるようになった一枚。このアルバムの元ネタである『ロジャー・ニコルズ・アンド・ザ・スモール・サークル・フレンズ』と共に、今でも一番聴く。


SUPER FOLK SONG

●SUPER FOLK SONG/矢野顕子

矢野顕子、ピアノ弾き語りアルバム第一弾にして最高傑作と断言したいほど大好きなアルバム。佐野元春大貫妙子山下達郎ムーンライダーズなど名曲ばかり選曲しているのだが、「矢野が歌えば矢野の歌」と言われる通り、どの曲も見事に自分の持ち歌にしている。ブームとのデュエット曲を一人で歌い直した「それだけでうれしい」は、テクノ好きで歌詞は煩いと思っている嫁の数少ないお気に入りで、夫婦喧嘩した時の仲直りソング。


以上、夜のプレイリスト~私の人生と共にあった思い出のアルバムでした。おつきあいいただき、ありがとうございます。おやすみなさい。