燃え殻ならぬ燃えかす

1992年10月16日。僕は所属していた音楽サークルが発行していた同人誌に「no more words  コトバニデキナイ」と題した原稿を書き、最後にこう綴った。

 

この夏に、僕はなんとか就職を決めた。印刷機材を販売する代理店だ。友人の何人かは僕がDJ/ライターにでもなろうとし、まともに就職活動なんてしないんだろうと思っていたらしい。とにかく、僕はもう音楽を言葉と表現の水溶液で薄めたり、クロス・フェーダーで無理矢理つないだりするのは止めようと思う。本当はほんの少しだけ楽しければね、それで良かったんだけど。でも、「青春は一度だけ」だし、思春期はもう終わったのだから。

 

ところが、実際は違った。印刷機材の代理店は一年で辞め、音楽関係ではないが編プロ、出版社を転々としながら、給料のほとんどをレコード・CDにつぎ込み、DJも続けた。音楽はあくまでも趣味で仕事にはしないと常々言っていたつもりだったが、結婚後は中古音楽ソフトの査定人になった。妻には安定した職業についてほしい、音楽関係は特に止めてと言われていたのに、だ。

 

僕たちはみんな大人になれなかった/燃え殻 を読む僕を冷ややかに見ながら、妻はこう言った。

 

「あなたが似たような本を書くならペンネームは燃え殻ならぬ、燃えかす、ね」。

 

 

ボクたちはみんな大人になれなかった

ボクたちはみんな大人になれなかった