#ロンバケサブスク解禁記念レビュー ~ 裸の「ロンバケ」をもし聴けたら素敵なことね

(注:あくまで個人の思い出に基づく感想文でレビューには及ばない薄い内容なのでご容赦を)

 

大瀧詠一の「A LONG VACATION」(以降ロンバケ)がリリースされたのは1981年。オリコンチャートLP2位、1982年のCD発売後オリコン初のミリオンセラーになった大ヒット作だが、当時小学五年生だった私の記憶にはなぜか一切ない。三歳年上の兄の影響でお小遣いでYMOの「BGM」とRCサクセションの「シングル・マン」(再発盤)を買って愛聴するませたガキではあったが、今思えばYMOもRCも子どもが好きになる「ヘンな感じ」があったからで、当時興味があったUFOや宇宙人と同じようなものだった。

 

ロンバケ」を初めて聴いたのは9年後の1990年。当時放映されていたフジテレビの深夜番組「19XX」で「君は天然色」が流れたのがきっかけだった。毎回ある年をテーマにその年を思い起こさせる歌謡曲を放映する番組だったが本人が登場する映像は希で、当時の事件や世相を表すニュースや写真などを編集したものが多かった。「君は天然色」の時は当然大瀧詠一本人の登場はなく代わりに「GORO」などのアイドルグラビア雑誌の表紙が映し出される内容で、歌詞やリズムのテンポに合わせて映像が切り替わる演出はそのままMVにしても良いと思えるほどで録画したビテオを繰り返し見てた。

 

それを見ていた母が「あら、懐かしい。やっぱりいいわね、大瀧詠一」と言ってきた。「あれ? 好きだったの?」と訊くと「オールディーズみたいだからよく聴いたわよ」と「ロンバケ」をレコード棚から出してきた。つまり今私の手元にある「ロンバケ」のレコードはもともとは母の所有物である。

 

後にCDも買い、発売40周年を経てサブスクでも聴けるようになった。ところが今に至るまで実は「ロンバケ」を最初から最後まで聴き通したことは少ない。嫌いな曲があるわけでないのだが聴く時の気分で曲を選ぶことが多い。フィル・スペクターの「MONO BOX」も同じような聴き方をしている。失礼を承知で書くがあのウォールサウンドに影響を受けたナイアガラサウンドが、私の耳には過剰でアルバム一枚を聴き通すのは正直辛いところがある。そのゴージャスなサウンドに反するかのように松本隆の歌詞は喪失感があり、永井博のイラストは現実感が乏しい。それなのに違和感が全くなく、他に交換できるものがないほど絶妙なバランスで成り立っているのも考えてみたら奇妙なことである。

 

後に知ったことだが、大瀧詠一松本隆に作詞を頼んだのはヒット作が欲しかったというのもあるという。また永井博の画集を大瀧詠一に見せたのも松本隆だったらしい。つまり、「ロンバケ」は松本隆、永井博なしには成り立たなかった作品とも言える。

 

「松本さんが色をつけてくれたから、とりあえず誰かが聴いてくれたけど、こっちは中身がモノクロなんだもの。色をつける才能もないし、つけたかない、裸でいたいし……。」(大瀧詠一『対談の本 ロックンロールから枝豆まで/細野晴臣』)

 

音・歌詞・ジャケットが三位一体となった完璧な作品で親しみやすいポップスなのに、その核心に迫ろうとすると分厚い情報量の壁にぶち当たる。この難攻不落な城壁に魅せられた人々がいわゆる「ナイアガラー」になるのだろうが、雑食で浅く広く音楽を聴く私はいまだに壁の前をうろうろしているだけである。

 

大瀧詠一の死後、2016年3月21日に発売された「DEBUT AGAIN」に大滝のヴォーカルとストリングスのみの「夢で逢えたら(String Mix)」が収録されているが、今私がいちばん聴きたいのはこのようなアレンジの「ロンバケ」だ。フィル・スペクターによってオーバダビングされたオーケストラと合唱を取り除いたTHE BEATLESの「Let It Be……Naked」のように。裸の「ロンバケ」がもし聴けたら素敵なことね。夢まくらにも願えないことだけど。