COCOA通知顛末記

●1月19日

○7時45分
目覚ましで起きるとスマホCOCOAから「陽性者との接触確認1件」の通知。アンインストールしていたと思っていたので通知があったこと自体に驚く。日にちを確認すると1月14日(金)。出社日で寄ったのは会社の最寄駅のコンビニだけ。夕飯は妻がカレーを作ってくれていたので帰りはどこも寄っていない。この日は会議で今年初めて本社の上司と会ったことを思い出す。

 

○8時17分
起きていた妻にCOCOAの通知があったと言うと妻は通知がないどころかアプリを入れていないとのこと。ツイッターを検索すると通知があったというツイートがかなりあり「どこも寄っていないので通勤中ぐらいしか思いつかない」というツイートも目立つ。とりあえず会社に通知があったことをメールし指示を待つ。

 

○8時30分
検温をするのを忘れていた。平熱の36.5度で会社に結果をメールする。

 

○10時15分
会社からメールの返信がないので電話する。本社の上司に確認中とのこと。

 

○10時53分
会社から返信。COCOAのスクショが添付され「専門機関に相談し指示を仰ぎ結果を報告してくれ」とのこと。

 

○11時
「症状がない場合はいつも通りにしてもかまわない」とCOCOAにあったのでいきなり病院に電話するより先ずはと思い東京都発熱相談センターCOCOA専用ダイヤルに電話したがつながらない。世田谷区の「新型コロナウィルスの検査について」の世田谷保健所感染症対策課に電話をかけるとつながり「念のため検査を受けたいのなら近所の病院に相談したら」とのこと。検査をやっている近所のクリニックに電話すると「症状がある人が優先なので熱がないなら検査は受け付けていない」とかなり苛立った感じの返答。

 

○11時半
会社に結果をメールし電話もする。本社の上司に報告するとのこと。今から出社しても遠距離通勤の会社に着くのは遅いので有給休暇をとる。

 

○18時
会社から本社の上司の確認がとれその後も発熱がなかったら1月21日(金)から出社してよいとのメールがある。

 

ニュース速報では東京の感染者は7377人の過去最多。オミクロン株は感染しても重症にはならないと言われているがCOCOA接触通知で一日モヤモヤすることになるとは…。またしばらくはコロナ禍に振り回されそうだ。やれやれ。

 

 

2021年の個人的な記憶の記録

2021年が終わる。

 

昨年に続く2年目のコロナ禍の中、緊急事態宣言とまん延防止措置法は繰り返され、感染者数と人々の苛立ちは夏の東京オリンピック開催前に頂点に達したが、いざオリンピックが始まると日本人選手の活躍に世間は一喜一憂し、終わり良ければすべて良しとでも言うかのように人々の苛立ちも収まり、感染者数も次第に減少していった。

 

中古音楽ソフトの査定という仕事柄、政府がテレワークを奨励するなか相変わらず通勤を続けたが、幸いにも感染することなく一年を無事乗り切ることができた。外出が制限される状況も変わらなかったが、延期が続いた浅田真央のサンクスツアー、昨年は中止だった荒川静香のフレンズオンアイスを観ることができたし、浅井直樹や折坂悠太のライブにも行けた。

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我が家のアニバーサリーマンスでもある9月には互いの誕生日ディナー、結婚記念日ディナーを馴染みの店で迎えられた。f:id:vibechant:20211231031410j:image


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何より今年は3月末からフリッパーズギターのアルバム『ヘッド博士の世界塔』リリース30周年を記念するファンジン『FOREVER DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER』の編集と販促にかかりっきりで一年が終わった。f:id:vibechant:20211231032012j:image

ファンジンのことはnoteで散々書いたが、実は自分でもいちばん驚いたのは完成1ヶ月後の8月に勤務地がフリッパーズギターのファンジン『FAKE』の発行人であった故・大塚幸代ちゃんの実家があった埼玉件の某市に移転したことだった。事実は小説より奇なりと言うか偶然の必然と言うか、私の意思に関係なくファンジンを発行することはあらかじめ決められたことだったのかと思わざるを得ないほどだった。

 

とはいえ、ファンジンは原稿執筆者・取材協力者の皆さんの「記憶の記録」であり、私は編集に徹したつもりだ。来年は自らの「記憶の記録」に専念したい。日本でもオミクロン株の感染者が徐々に増えるなか来年のコロナ禍がどうなるかはまだ誰にもわからないが、「それでも人生は続く」のだから。

 

 

2年目の夏をあきらめて

波音が響けば雨雲が近づく
二人で思い切り遊ぶはずの

On the Beach
きっと誰かが恋に破れ

噂のタネに邪魔する
君の身体も濡れたまま

乾く間もなくて
胸元が揺れたら

しずくが砂に舞い
言葉も無いままに

あきらめの夏

 

夏をあきらめて

サザンオールスターズ研ナオコ

 

昨年に引き続き緊急事態宣言の夏。夫婦ともに小売業の我が家は「夫は隣県の倉庫へ中古CDの査定に  妻は家でテレワークをしていました」の毎日であることに変わりはなく、ワクチン接種は夫婦で2回終わらせることはできたものの例年通りまとまった休みもなかったため、昨年以上に何もせずに終わった2年目の「あきらめの夏」だった。

 

近所以外で夫婦そろって出かけたのは、Mork阿佐ヶ谷に「真夏の夜のジャズ」を観に行ったぐらいだった。私は20代の頃にレイトショーで観て気に入りVHSビデオを買って繰り返し観た思い出の映画だったので、「タイトル通り避暑地で開かれるジャズ・フェスティバルで、どこにも行けない夏の一夜にはぴったりだよ」と誘ったが、妻は「ジャズって敷居が高くて難しそう」と観る前は懐疑的だった。観た後は妻も「アニータ・オデイのサマードレス素敵だった」「サッチモ見てタモリってああいう風になりたかったんだなと思った」と彼女なりに楽しんだようだった。

 

ただ映画が終わった後に少し揉めた。「久しぶりのお出かけだしジャズの映画観たあとなんだから美味しいもの食べて帰ろうよ」と妻は言うが、私は「普段来ない場所だし今はまだやめた方がいい」といつものように説得し、結局テリー伊藤の「から揚げの天才」でテイクアウトすることにした。会計を済ませる間、妻は恨めしそうに中華料理屋を眺めていた。近所の馴染みの餃子屋が閉店したばかりだったのを思い出し私もやるせない気分になった。

 

コロナ禍以降、「分断」という言葉が盛んに使われるようになったが、我が家も以前より些細なことで言い合いすることが増えた。何事も中庸が大事であると考える自分にとっては、常に「お前はどっちだ」と問い詰められてるようで世知辛い世の中になったと感じる。

 

おそらく今年いっぱい何かと些細なことで言い合いするのは避けられないだろうが、せめて9月はおだやかにすごしたい。9月は我が家のお互いの誕生日と結婚記念日がある盆と正月が一緒に来たようなおめでたい月なのだから。

 

なのでとりあえずは、

 

このまま君と あきらめの夏

渋谷系非英語圏オールタイムベスト


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ツイッターでPeterさん(@zippu21)が募集された「非英語圏オールタイムベストアルバム」です。私が90年代後半~00年代にDJで回したり選曲テープに選んでいたもののなかから30枚を選盤しました。「渋谷系」とつけたのは曲の雰囲気が単に「小洒落ている」だけでなく、90年代に日本のミュージシャン/DJ/選曲家がいわゆる「ワールドミュージック」として日本で紹介されていなかった非英語圏の音楽を発掘し主にクラブを通じて広めていった結果、日本だけでCDで再発されたものが数多くあるからです。最近の日本でのアルゼンチンやウルグアイなどの南米、インドネシアやタイなどのアジアといった非英語圏の音楽シーンに対する注目の高さも、こうした90年代のムーブメントが関係している部分もあると思います。

 

私がミルトン・ナシメントのClube De Esquinaを手に入れたのは井出靖さんが経営していた中古レコード屋ファンタスティカ(まだ東北沢にあった頃)で、「ミルトン・ナシメントってサバービアで紹介されていたけどこのアルバムもいいのかな」ぐらいの知識しか当時はありませんでした。7800円と高額でしたが印象的な子供の写真に惹かれジャケ買いしました。それ以来歌詞のないスキャットのみのClube De Esquina No.2はイベントに来てくれたお客さんへの言葉にならない感謝の気持ちを託し、私が主宰していたクラブイベントのクロージング曲になりました。一緒に回していた年下のDJはこの曲をきっかけにブラジルの音楽に本格的にハマり、現在はブラジル音楽専門のレーベルを運営しています。

 

今回選盤した30枚はいわゆるガイド本にも掲載されている「評価の定まった」レア盤がほとんどですが、ネットが普及していなかった90年代は誰かが高額をはたいてでも手にいれない限りはそれが本当によいかどうかはわからず、冒頭に述べたように再発されることもなく埋もれていったものもあったかもしれません。特にブラジル中古盤は日本にとって地球の裏側の国だったこともあり専門のバイヤーも扱う店も少なく、私が知っていた限りではファンタスティカとレコードファインダー、渋谷WAVEクワトロでのバイヤーの即売ぐらいで、入荷は常連の口コミのみだった時期がしばらくあったことは付け加えておきたいと思います。

 

ジャンルは違いますが、アシッドジャズ・ムーブメントの立役者の一人スノーボーイは『音楽をよむ  ベスト300完全ガイド』(メタローグ)に寄せたエッセイ「UKジャズダンスの歴史」でこう書いています。

 

たった数人のDJが音楽に身を捧げたことで、同時代を生きる多くのDJたちが音楽を探し求め、踊れないと思われていたジャズで踊るためにダンサーたちが新しいスタイルを生み出していく。これがUKジャズダンスなのである。

 

大げさかもしれませんが、今回非英語圏オールタイムを企画されたPeterさんも投票された皆さんもこうした気持ちが少なからずあると私は思っています。

 

前置きが長くなりましたが以下が私の30選です。Spotifyにあるもの(26曲・うち1曲はコンピレーションから)で順位に関係なくプレイリストもつくりましたので、こちらを聴いていただければ今回の選盤の趣旨はおわかりいただけると思います。

 

https://open.spotify.com/playlist/7gwyb3FAYKjd2IiYQ8DJe7?si=_GwX663YSPuSAo_rnKfOhA&utm_source=copy-link

 

渋谷系英語圏オールタイムベストアルバム

1 Joao Girberto/Joao Girberto/ブラジル
2 Vu de l'exterieur/Serge Gainsbourg/フランス
3 Clube Da Esquina/Milton Nascimento & Lo Borges/ブラジル
4 Em Pleno Verao/Elis Regina/ブラジル
5 Luis Eca・Bebeto・Helcio Milito/TAMBA/ブラジル
6 Qualquer Coisa/Caetano Veloso/ブラジル
7 Tohinho Horta/Tohinho Horta/ブラジル
8 Brazilian Sound/Les Masques/フランス
9 Troupeau Bleu/Cortex/フランス
10 Un Homme Et Une Femme/Francis Lai/フランス
11 Homme Studio/Henri Salvador/フランス
12 Forca Bruta/Jorge Ben/ブラジル
13 Previsao Do Tempo/Marcos Valle/ブラジル
14 Somos Todos Iguais Nesta Noite/Ivan Lins/ブラジル
15 Acabou Chorare/Novos Baianos/ブラジル
16 Porque Te Vas/Jeanette/スペイン
17 Avec Ou Sans Veston/Paul Louka/ベルギー
18 Fais Comme L'Oiseau/Michel Fugain & Le Big Bazar/フランス
19 Un Amor. Un Souire Une Fleur/Sacha Distel/フランス
20 Kom I Min Varld/Lili Lindfors/スウェーデン
21 Cinq Minutes D'amour/Frans Gall/フランス
22 Ex Fan De Sixties/Jane Birkin/フランス
23 Jeanne Chante Jeanne/Jeanne Moreau/フランス
24 Wake And Shake Up/Caterina Valentine/フランス
25 Dansa Samba Med Mej/Sylvia Vrethammer/スウェーデン
26 Torpedo/Novi Singers/ポーランド
27 Black Sound From White Peoples/Augusto Martelli/イタリア
28 Piotr Figiel Music/Piotr Figiel/ポーランド
29 Chorus/Janko Nilovic/フランス
30 LEGRAND & CASTRO NEVES/MICHEL LEGRAND, PEDRO PAULO CASTRO NEVES/フランス&ブラジル

長い坂の絵のフレーム

ここ数週間あるバンドのアルバム30周年のファンジンをつくるために昔の友人やツイッターで知り合った人に連絡をしているが、メッセージのやり取りをするたびにそのバンドのアルバムの曲だけではなく、井上陽水の「長い坂の絵のフレーム」が頭をよぎる。


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https://youtu.be/kQlqplGLoKY

 

この曲を知ったのは何十年も前に偶然見たNHK井上陽水の特集番組だった。私は井上陽水の熱心なファンではないがこの曲の歌詞が印象に残り、年を取るたびに味わい深いものになった。それは間違いなくこの番組が収録されたときの井上陽水の年齢に私がなったからだ。

 

この曲を味わい深いと思うのは「長い坂の絵」ではなく「長い坂の絵のフレーム」であるからだと思う。人の一生を「長い坂の絵」に例えるのは容易い。しかし人生というものは複雑で時に理不尽なものであり思い出したくないことも多い。「長い坂の絵」を自分の人生に見立てるうちにそんな気分になり、視線を外し「フレーム」を見てしまう、そんな心境を歌っているのだろうか。

 

今作っているファンジンでは、そうしたこぼれ落ちがちなものも含めたものにできればと思っている。なぜなら次の周年のタイミングには、そのアルバムをリアルタイムで聴いた私や友人・知人の多くは還暦を迎えるからだ。もちろん還暦を迎えても活発な人たちもいるし、「人生100年時代」というとんでもないコピーがCMに流れる時代だが記憶力はさすがに衰えるはずであろうから。SNSの発達により歴史の改竄・捏造といった言葉が容易く使われるようになった時代だからこそ、今のうちに時代の証言をまとめておきたい。幸か不幸かコロナ禍で考える時間だけはたっぷりあるのだから。

 

 

 

 

 

 

閉じて開いて

閉じて 開いて

手を洗って 閉じて

また開いて

手を洗って

その手はどこへ?

 

昨年の緊急事態宣言から一年経ったが、今度はまん延防止等重点措置が4月12日から東京でも適用されるというニュースがSNSのTLに流れてきた。だからと言って正直なところ今の生活に大きな変化が起きるわけでもないのだが、ここのところ買い物だの浅井直樹のライブだの浅田真央のサンクスツアーだの少し気が緩んでいたのは確かだ。

 

コロナ禍で毎日やることでいちばん増えたのは手洗いだが、いちばん触っているのはスマホだ(このブログもスマホで書いている)。片道1時間以上の長期間通勤なので電車に乗っている間はスマホのサブスクで音楽を聴きながらSNSを眺めている。帰りは最寄り駅に着くとテレワークの妻が迎えに来て一緒に夕飯の買い物をするのだが、家に帰って手を洗うまでは手をつなぐことをためらようになった。

 

妻や母の家族、職場の人以外は会わない生活が続くなか、SNSの依存度は正直高まっているし、音楽の聴き方もどんどんサブスク中心になっている。ただ新作を聴く機会は明らかに増えた。試聴機代わりにサブスクを使うのはよく言われることだが、サブスクがアルゴリズムで勧める音楽は大抵外れることが多いので、結局情報欲しさにSNSに頼る。昔レコ屋やCDショップに行くと知り合いの店員に「これいいよ」と勧められるのに近いとも言える。

 

正直20~30代の頃の方が中古屋で旧譜をあさっていた。未知のものを知る楽しさという点では旧譜も新作も変わらないのは確かだが、歳をとった今の方が新作を聴いているのは、コロナ禍の閉塞感から逃れたい気持ちの現れなのだろうか。同時代を生きる人たちがいま何を考えているのか、どんな気持ちなのかを音楽を通じて読み取りたいという思いが無意識のうちに働いてるのかもしれない。折坂悠太の「針の穴」はかなり今の気分に刺さるものだった。

 

路肩の天使が 私に言うことにゃ

程なくここらは 嵐の只中さ

そんなことわかってるから

手綱持たしてくれよ

 

今私が生きることは

針の穴を通すようなこと

稲妻に笑っていたい

針の穴を通すようなことでも

 

針の穴/折坂悠太

 

と考えながら結局触っているのはスマホであった。

#ロンバケサブスク解禁記念レビュー ~ 裸の「ロンバケ」をもし聴けたら素敵なことね

(注:あくまで個人の思い出に基づく感想文でレビューには及ばない薄い内容なのでご容赦を)

 

大瀧詠一の「A LONG VACATION」(以降ロンバケ)がリリースされたのは1981年。オリコンチャートLP2位、1982年のCD発売後オリコン初のミリオンセラーになった大ヒット作だが、当時小学五年生だった私の記憶にはなぜか一切ない。三歳年上の兄の影響でお小遣いでYMOの「BGM」とRCサクセションの「シングル・マン」(再発盤)を買って愛聴するませたガキではあったが、今思えばYMOもRCも子どもが好きになる「ヘンな感じ」があったからで、当時興味があったUFOや宇宙人と同じようなものだった。

 

ロンバケ」を初めて聴いたのは9年後の1990年。当時放映されていたフジテレビの深夜番組「19XX」で「君は天然色」が流れたのがきっかけだった。毎回ある年をテーマにその年を思い起こさせる歌謡曲を放映する番組だったが本人が登場する映像は希で、当時の事件や世相を表すニュースや写真などを編集したものが多かった。「君は天然色」の時は当然大瀧詠一本人の登場はなく代わりに「GORO」などのアイドルグラビア雑誌の表紙が映し出される内容で、歌詞やリズムのテンポに合わせて映像が切り替わる演出はそのままMVにしても良いと思えるほどで録画したビテオを繰り返し見てた。

 

それを見ていた母が「あら、懐かしい。やっぱりいいわね、大瀧詠一」と言ってきた。「あれ? 好きだったの?」と訊くと「オールディーズみたいだからよく聴いたわよ」と「ロンバケ」をレコード棚から出してきた。つまり今私の手元にある「ロンバケ」のレコードはもともとは母の所有物である。

 

後にCDも買い、発売40周年を経てサブスクでも聴けるようになった。ところが今に至るまで実は「ロンバケ」を最初から最後まで聴き通したことは少ない。嫌いな曲があるわけでないのだが聴く時の気分で曲を選ぶことが多い。フィル・スペクターの「MONO BOX」も同じような聴き方をしている。失礼を承知で書くがあのウォールサウンドに影響を受けたナイアガラサウンドが、私の耳には過剰でアルバム一枚を聴き通すのは正直辛いところがある。そのゴージャスなサウンドに反するかのように松本隆の歌詞は喪失感があり、永井博のイラストは現実感が乏しい。それなのに違和感が全くなく、他に交換できるものがないほど絶妙なバランスで成り立っているのも考えてみたら奇妙なことである。

 

後に知ったことだが、大瀧詠一松本隆に作詞を頼んだのはヒット作が欲しかったというのもあるという。また永井博の画集を大瀧詠一に見せたのも松本隆だったらしい。つまり、「ロンバケ」は松本隆、永井博なしには成り立たなかった作品とも言える。

 

「松本さんが色をつけてくれたから、とりあえず誰かが聴いてくれたけど、こっちは中身がモノクロなんだもの。色をつける才能もないし、つけたかない、裸でいたいし……。」(大瀧詠一『対談の本 ロックンロールから枝豆まで/細野晴臣』)

 

音・歌詞・ジャケットが三位一体となった完璧な作品で親しみやすいポップスなのに、その核心に迫ろうとすると分厚い情報量の壁にぶち当たる。この難攻不落な城壁に魅せられた人々がいわゆる「ナイアガラー」になるのだろうが、雑食で浅く広く音楽を聴く私はいまだに壁の前をうろうろしているだけである。

 

大瀧詠一の死後、2016年3月21日に発売された「DEBUT AGAIN」に大滝のヴォーカルとストリングスのみの「夢で逢えたら(String Mix)」が収録されているが、今私がいちばん聴きたいのはこのようなアレンジの「ロンバケ」だ。フィル・スペクターによってオーバダビングされたオーケストラと合唱を取り除いたTHE BEATLESの「Let It Be……Naked」のように。裸の「ロンバケ」がもし聴けたら素敵なことね。夢まくらにも願えないことだけど。